社会の風俗や習慣。気風。
推移すること。物事が順次に交代してゆくこと。敓は奪に同じ。
情勢のこと。「いきおい」と訓読してもよい。
朝と晩という意味から、ごく短い時間をいう。
今の時代。現在の世の中。
いままでのやり方を変えないこと。
安んじ落ち着くこと。
未来の兆し。
見ること。
新しい道筋。
世俗に先んずる意。「俗先」語は見慣れないが、前の「相来幾於事前」の対句として「唱新義于俗先」としたもので、「相」は「唱」に、「来幾」は「新義」に対応している。そこで、「事前」に対応して「俗に先んじて」という意味を「俗先」としたもの。高度な技巧である。
刑法のこと。
正しい。正当であること。
わざわい。災難。
激しい。当時、洋学は激しい反発を受けた。蛮社の獄はその代表的な事件である。
渡辺崋山と高野長英の二人。渡辺崋山(1793―1841)は田原藩家老であり、画家としても著名。画の作品は『市河米庵像』などが有名である。儒学は佐藤一斎、松崎慊堂に師事した。天保3年(1832年)、田原藩家老となり、海防掛を担当した。このころ、高野長英ら蘭学者と尚歯(しょうし)会を作り、彼らに蘭書を講じさせて西洋の情勢を研究し、「モリソン号事件」に対する幕府の対応を批判した『慎機論』を著した。天保8年(1837年)の「蛮社の獄」では、家宅捜索によって発見された『慎機論』の内容が不敬であるとして蟄居を命じられた。しかし蟄居中に弟子たちが江戸で開いた展覧会が、「不謹慎」であるとされ、主君に迷惑をかけないために自殺した。高野長英(1804―50)は著名な蘭学者で、シーボルト門下の俊英である。文政11年(1828年)、「シーボルト事件」のとき長崎から逃亡し、天保元年(1830年)江戸で蘭医を開業した。渡辺崋山と知り合い、尚歯会を始め、天保9年(1838年)『夢物語』を作り、幕府の外交政策を批判した。これは写本で流布され、大きな反響を呼んだ。蛮社の獄で渡辺崋山が逮捕されたとき、北町奉行所に自首し、無実を訴えたが、永牢(えいろう=終身刑)の判決を受けた。しかし弘化元年(1844年)に脱獄し、江戸に潜伏して翻訳に専心した。ところが『三兵答古知幾(タクチーキ)』の名訳が評判となったことから身元が割れ、嘉永3年(1850年)捕り手に踏み込まれて自刃した。
明治より前の時代。
原因。
第15代、応神天皇。八幡大菩薩と仰がれる英邁な天皇。『日本書紀』によれば、応神天皇のとき朝鮮半島の百済(くだら)から、王仁(わに)が渡来し、太子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)に漢文を教えたとされる。王仁は、『古事記』では「和邇吉師(わにきし)」と表記され、『論語』、『千字文』をもたらしたことになっている。
国家の制度。
製品の規格。技術の標準。『礼記』の「八政」として国家として定めるべき、飲食や衣服の制度、度量衡など八つのうちの一つ。
「粲然・・可観」で、非常に優れていること。
第31代、敏達天皇。
仏教が朝鮮半島から伝来したことを指す。ただし、仏教の伝来は、正確にいうと第30代、欽明天皇の御世である。このとき蘇我氏は百済から伝来した仏教を尊崇し、物部氏はこれを排斥した。次の第31代、敏達天皇のとき、蘇我・物部の争いは激化し、疫病流行を期に、物部守屋は仏寺破壊の挙に出た。敏達天皇は疫病で崩御。第32代、用明天皇も疫病にかかり臨終の床で、仏教への帰依を表明。これを機として、蘇我・物部による内戦が勃発した。内戦を制した蘇我氏により第33代、崇峻天皇が擁立され、その後、聖徳太子による四天王寺建立、蘇我馬子による元興寺建立等により、仏教が国教として定着していった。
大波が打ち寄せるように押し寄せてくること。仏教がどんどん広まる様子。
かたすみ。もとは、四角形の一つの角のこと。思軒は、仏教は隆盛を極めたが、儒教ほどの影響をわが国の文化に与えなかったと主張している。
上記にのべたような、儒教と仏教の興隆によって、その後の天皇が尊ばれる存在となることができた、ということ。それまでは、野蛮であり、君王の尊ぶべきゆえんを知らなかった。
治者とは統治者、すなわち君主。被治者とは人民のこと。その両者の間の交渉。
「倫」は「類(たぐい)」の意。夫婦の仲。
「夷」は「類(たぐい)」の意。父子の関係。
国家のこと。もともとは土地の神の意。
一般の人民。社稷(国家)と民人(人民)は、為政者が治めるべき対象として、『論語』先進編に出ている。
国家社会の規律。
孔子のこと。孔子はいうまでもなく中国春秋時代の儒教の祖。
孔子の教えに背くものは皆無である。「莫之或○○」は、『孟子』などの古文に見られる特殊語法。「之に畔く或る莫し」のように訓読することが多いが、「之」は代名詞ではなく調子をととのえるだけの助詞。
わが国の「戦国時代」とは、室町時代(足利幕府)の末期をいう。
しだいにその状態(戦国時代)になる。「馴」は「ようやく」の意味の副詞、「致」は「なる」意の動詞。
ヨーロッパ人。戦国時代にスペイン人、ポルトガル人らがわが国に来た。
辺境の関所のこと。
(門扉を)トントンとたたくこと。「辺関を款く」は、開国を願い出る意。
西洋。
学問や制度など。いまは「文明」という。
天下のことですが、ここでは日本国内の意。
じわじわと広まる。
基督教の宣教。スペイン人ザビエルのように、戦国時代には、基督教の宣教を目的として日本へ来る西洋人が多かった。
鳥の「ふくろう」のこと。貪欲、残忍、凶悪というイメージを表す。
国家間の親善。
貪欲のこと。「谿壑」は深い谷間のことで、欲深さをたとえたもの。
徳川家康以下、江戸幕府の将軍家。
弊害。
懲羹吹齏(羹=あつものに懲りて、齏=なますを吹く)を省略した語。失敗に懲りて、用心深くなりすぎること。
邪魔者を除く。排斥する。
邪魔者を追い払い、遠ざけること。
あとかたもなくなること。
旧弊を一掃すること。
利益を独占すること。
オランダ商人。オランダ商人が利益を独占したこと。江戸幕府は、スペイン・ポルトガルは基督教の布教を名目に侵略を企てているとして渡航を禁じ、イギリス・オランダの二国にのみ通商を許可した。しかし、イギリスは本国がクロムウェル革命で混乱したため、通商を辞退したため、ヨーロッパで日本と貿易する国はオランダだけとなった。故に「壟断」という。
天文学と医学。蘭学はこれらの分野に限られていた。
ようやく細い流れが続いている状態。
推歩は天文学、方技は医学の異称。
十分の一の意。
ヨーロッパの哲学者。ここでは進化論を唱えたダーウィンのこと。
現代の用語で言えば、「自然選択」もしくは「淘汰」のこと。「数」とは「かず」ではなく、運命(命数)のこと。
きざしが見える様子。孟子告子上に「吾如有萌焉何哉」(吾に萌焉たる有るを如何せん)とある。
おおい隠すこと。
精巧な装置。
戦術。
「佚宕」(てつたう)とも。荒れ狂って暴れまわり、害をなすこと。
非常にすぐれていること。卓越。
おおいに明らかであること。
その時期。その機会。
端緒。ものごとのはじめ。
高野長英の著書。日本人の漂流民を送り届けることをきっかけに、貿易を求めようとしたアメリカ船「モリソン号」を幕府が砲撃し、退去させた「モリソン号事件」の話を聞いて、幕府の玩弄さに危機感を抱いた高野長英は、『夢物語』を著し、夢に託して海防の大事を解き、幕府の無策を批判した。本書は多くの人に転写され、大きな注目を集めたといわれている。蛮社の獄では、長英はこの書で幕府批判を行ったかどで、「永牢」(終身刑)の判決を受けた。
新しく変わっている。新奇。
都(みやこ)のこと。ここでは京都ではなく、当時の政治上の都であった江戸を指す。
動揺させること。
その書物が次次と書写されて、社会に広まること。
蟹(かに)のように横ばいに歩くこと。欧文は横書きなので、蔑んで「蟹行文」と呼んだ。
「けつぜつ」とも。鴂は鳥のモズ(ミソサザイとも)のことで、外国人のやかましく、意味不明な言語を蔑んで呼んだもの。
ひとりで行く様子。
儒教の経典。いわゆる四書・五経(四書=大学・中庸・論語・孟子、五経=易経、詩経、書経、礼記、春秋)のこと。
社会的抵抗が強く、世間に嫌われること。タブーを犯す者に対する反発。
激しく勢いづけること。
広義には屈原(くつげん)の『楚辞』全編を指す。狭義では『楚辞』の中の「離騒」篇のみを指すが、以下に引用された「邑犬群吠」は、「九章」篇に出ているので、ここでは広義のほうである。
郷里の犬どもが一斉に吠えること。取るに足りない小人(つまらないものたち)が集まって賢人をそしることを喩える。これらの犬(小人)どもは、「怪しむ所を吠ゆ」つまり、自分たちが疑い、忌む者に対して吠える(そしる)。
さる人。ある人を暗示しているが、明らかに言わないときの言い方。ここでは、鳥居耀蔵(とりい・ようぞう)を指す。鳥居は幕府の大学頭・林述斎の次男であるが、旗本・鳥居家の養子となり、江戸南町奉行に任ぜられ、水野忠邦の側近として活躍した。しかし、浦賀の代官・江川英龍(えがわ・ひでたつ)との間に対立が生じ、蘭学に詳しい江川を陥れるために旗本・花井虎一に事実無根の訴えをさせ、「蛮社の獄」を起こした。なぜ鳥居の名を伏せてあるかは、別に彼の名を明かすのをはばかったわけではなく(『文明東漸史』には、彼の名がはっきり書いてある)、その必要すらない小人だと決め付けたいからであろうと思われる。
「搏擊」は、激しく攻撃すること。「姿」はその態勢。すなわち攻撃態勢のこと。酷吏(人民をいじめる官吏)の処置の様子。思軒は、『文明東漸史』第九章の鳥居登場の部分に、鳥居はまさに「酷吏伝」に入るべき人物だという評を付している。(『史記』に「酷吏伝」があるのはご存知のとおり。)
儒学者、すなわち漢学者の中心的人物。幕府の大学頭・林氏のことを指すと考えられる。当時の林氏が蘭学撲滅の野望を抱いていたかどうかは不明だが、鳥居耀蔵が林述斎の次男であることから見て、そのような推測は可能である。
五臓六腑(つまり内臓)のことだが、比喩で腹心の者のことをいう。鳥居は、林氏の腹心として、蘭学を排斥した。
「其の長ずる所」という意。要するに蘭学者弾圧は、鳥居がその酷吏としての特性を活かして行ったものであるということ。この部分の原文は、「其所焉已」となっているが、本来「得其所焉已」(其の所を得たるのみ)とあるべきところを「得」字が脱字になっていると思われる。
墓木とは墓に植える木のこと。「拱」とは、両手で抱きかかえるほどの大きさを言う。墓木が両手で抱きかかえるほどに生長するほど、死後時間が経ってしまうことを「墓木已拱」という。「墓木未拱」とは、逆に死後あまり時間が経っていないこと。
社会情勢。
真っ先に主張すること。
さかまく波。
暴風。
はげしく揺り動かすこと。
「従古未有」は「いにしえより、いまだ有らず」ということで、「未曾有(みぞう)ということ。「盛」は大盛況ということ。
逆境・苦難のこと。
つまずきまろぶことで、挫折のこと。
緊迫せず、余裕有る様子。
死後。
余裕のある様子。「綽綽」とも。
ひょっとしたら・・・ではないか。
「逆」は「あらかじめ」。「覩」は見ること。予見すること。
今の人、つまり現代人。
本来は著者が生前に死後のために留め置いた著書のこと。ここでは死後に残された著作物のこと。
普通であること。ここでは今日から見れば平凡という意。
遭遇。めぐりあい。よい機会にめぐりあうこと。
2007年11月11日公開。