本因坊秀栄名人(1852-1907)は、囲碁の家元が世襲制だったときの、第17世・第19世の本因坊。父は第14世本因坊秀和。明治維新後の囲碁界の激動を乗り越え、今日の隆盛の基礎を築いた第一人者。
武備をやめて、文化振興をすること。「偃武修文」とも。
武芸や工芸などの技術。
残存している悪習。
あらゆる学問・技芸の意。もともと九流とは、(1)儒家、(2)道家、(3)陰陽家、(4)名家、(5)墨家、(6)縦横家、(7)雑家、(8)法家、(9)農家。
たくさん出現すること。
徳川時代、幕府より世襲の扶持を受けた四家。碁打衆の設置は、慶長17年(1612年)に遡る。石高は、本因坊家50石、井上家50石、安井家30石、林家20石。
「棋(キ qí)」と同じ字だが、「碁」の字は慣用的に「ゴ」と読んでいる。
代代たえまなく。
碁の奥義に達し、無敵の強さをほこる棋士。(ちなみに現在七大タイトル中には「棋聖(きせい)」と「碁聖(ごせい)」がある。)
巧みなわざ。
父親による教育。
二十歳のこと。古代中国では二十歳になると冠を被ったから。ただし、二十歳前後の年齢でも「弱冠」という場合がある。
家に代代伝わっている秘伝の書物。
読むこと。「けみする」と読み慣わしている。
血を吐くほど精進すること。
「庚辰」は「かのえ・たつ」。明治13年(1880年)。
秀甫師(1838-1886)は、本因坊第18世。本因坊門下一番の実力者であったが、のちに「方円社」を立ち上げて家元側と敵対し、秀栄師の宿敵となった人物。しかし、秀栄師とは晩年和解し、本因坊第18世を継いでいる。
安井算英(やすい・さんえい、1847-1903)。安井第10世。彼を最後として安井家は廃家になった。
明治12年(1879年)に村瀬秀甫が中心となって結成された囲碁の結社。家元による囲碁界の支配を切り崩し、近代的な専門集団を目指した。方円社には、秀栄師ら家元側も当初は参加していたが、方円社が家元を軽視することに腹を立てて、すぐに脱会している。以後、秀栄師と方円社との間には、長い間確執があった。なお、「方円」とは四角(方)と丸(円)ということで、『孟子』(離婁上)に見える語。ここでは碁盤と碁石を指したもの。
宣伝すること。
議論の行き違いから不和になること。
天下という意。古代中国人は中国の四方は海に囲まれていると考えていた。その「四海の内」ということからできた語。
棋士のこと。「爛柯」とは、斧の柄が腐ったこと。晉の代に、王質というきこりがいた。あるとき山に入って、二人の童子が碁を打っているのに出会い、斧を置いてそれに見入っていた。後で斧をみると、なんとその柄が腐っている。家に帰ると、百年たっており、誰も知っている人がいなかった。「浦島太郎」や「リップ・ヴァン・ウィンクル」(森鴎外訳「新浦島」)にそっくりのこの話は、『述異記』(梁の任眆の作)にある。
押しも押されもせぬ大家。泰山・北斗のように皆から仰ぎ尊ばれる意。
「丙午」は「ひのえ・うま」。明治39年(1906年)
日本囲棋会は、明治38年(1905年)、秀栄師が中心となって設立した。
「丁未」は「ひのと・ひつじ」。明治40年(1907年)。
生まれつきの性格。
非常に正直潔白で、汚いことができない性格。それゆえに人と相容れないことが多い。
友人とのつきあい。
大久保利通(1830-1878)のこと。大久保は当時内務大臣で、秀栄師のよき理解者であった。明治11年(1878年)、刺客に暗殺された。享年47。
非常に権力・権勢のある官職。ここでは内務大臣の職。
表現力(才)と技術(芸)。
長いつきあいの友達。
礼を尽くして招くこと。
自分の技術を謙遜していったもの。
大富豪。
交わりを結ぶ。
本因坊家の名誉。
「おこぼれにあずかる」くらいの意味。
大ばか者。うつけ者。愚鈍な男を蔑んで言う語。現代日本語の「チカン」とは別の意味。
すべてという意。
発憤して一所懸命がんばること。精神を奮い起こす意。
ゆるりとくつろいで、気ままにすること。ただし、この「放心」は、「ほかのことに気をとられて、集中力がなくなる」という、国語としての意味であるように思われる。
金銭上の利益。
芸人のこと。舞台で技を披露していた。
じっと注視すること。
戯曲もしくは音楽。
深く考え込むこと。
ここでは、そこにいた他人のこと。
舞台が終わって、劇場(芝居小屋?)が閉館になる。
たちまちのうちに。
驚いて目覚めること。
「円転滑脱」とも。自由自在に変化する様。
陰と陽の二つの気が、とめどなく変化すること。黒と白の球を陰陽二気に見立て、さらに黒と白の碁石も同様だと連想している。
球を使った演技。
心の中の関心事。
肉や野菜を煮込んだ濃いスープ。
ほんのわずかな間。
技が非常に精妙であること。
ここでは、手で指し示し、口で教える、という意味。
丁寧に、倦まずたゆまず教える様子。
飽くことなく勤勉につとめる様子。
そそっかしい。軽率。
大きな声を出す。ふつうは『厲聲』と表記する。
わが国の囲碁用語で、不適当な悪い手のこと。
永久に稽古しなければならないという意味。つまり、あまりにも手の筋が悪く、上達の見込みがないこと。なお、「稽古」の原義は「昔のことを考察する」ということ。ここでは、国語の「稽古」(学んだことをくりかえし練習する)の意味。そのため、「蓋し」以下の注釈を入れて、漢文として意味が通るようにしてある。
進歩の状況。
弟子の中で才能や人品が優れた者。
本因坊第21世、秀哉名人(1874-1940)。若いときから鬼才といわれたが、性格がきつく、品行問題で方円社を追放され、のち秀栄師の門に入ったが、秀栄師との折り合いも悪くなり、実力第一であるにもかかわらず、後継指名してもらえず、雁金準一との間で本因坊継承争いが起きた。のち本因坊を継ぎ、名人となる。日本棋院を設立し、棋界統一をなしとげた。引退に際して本因坊の名跡を日本棋院に付与し、以後本因坊は実力戦のタイトルとなった。
すきを狙って攻撃すること。
旋風のように敵を攻撃し、迅雷のように敵を牽制すること。
ここでは対局相手のこと。「敵手」の本来の意味は、「才能や実力が拮抗したライバル」のこと。
忙しすぎて対応ができないこと。「応接不暇」とも。
三度この世に生まれ変わること。
2004年6月27