巖谷 一六
蔵書を広げて風を通す虫干しの作業をしていると、書物が日光に映え、風でパラパラとページがめくれる。それを見ながら私は満足して楽しんでいる。古人は蔵書を君主の位や百の城市の領有権にも例えたが、その気持ちは決して大袈裟なものではない。
省みれば、私は子供の頃家が貧しくて書物を買うことができなかった。そこで人から借りた書物を日夜書写して、苦心して内容を覚えこみ、学問を成就しようとした。
今は、身にあまる名声を得て、官吏として俸給をいただき、俸給のあまりで箱や書架にあふれんばかりの蔵書を得た。なんという幸福だろうか。しかし、自分の学問を思うと、退歩はあっても、まったく進歩が見られない。かつて必死に覚えこんだ学問知識も、紙魚に喰われるにまかせてしまい、いまでは曝書をしてみようにも、昔の聖賢の学問の残りかすだけしか残っていない。なんと無残なことか。曝書記をつくり、自ら戒めるゆえんである。
2008年11月23日公開。