日本漢文の世界


曝書記解説

 これは、明治の大書家・巖谷一六(いわや・いちろく)が、ある年の曝書(ばくしょ)の時に感慨を記した文章です。曝書というのは、和紙の書物を紙魚(しみ)の被害から守るために、書物に自然の風を通すことです。畳の上に並べて、一冊ずつめくりながら風をとおしてゆく単純な作業で、その際に綴じひもが切れているのを補修したりもします。現在は書物を日光にはあてず、「陰干し」で行っています。貴重な古書をたくさん所蔵している足利学校で毎年秋に行われているのが報道されています。
 「曝書」は本来はその字のとおり、日光に書物を「さらす」方法で行われていたようです。昔は、現在のような消毒薬や防虫剤がありませんから、強力な紙魚に対抗するには、多少本が傷むことはやむを得ぬこととして、そのような処置をせざるを得なかったのだろうと思います。この文章でも、「牙籤(書物の分類札)が日に映える」という表現がありますから、一六居士も、あるいは蔵書を日光にさらしていたのかもしれません。
 一六居士は、書物のほか、書の拓本などもたくさん蒐集していたことでも有名で、曝書となるとかなりの手間であったろうと思われます。そのたくさんの蔵書を見ながら、昔貧しかったころは人に借りてでもよく読み、よく勉強したが、蔵書の豊富な今はかえって怠り勝ちである自分が見えてきたのでしょう。薀蓄を蓄えてきたはずの「腹中の書」は、放置しているうちに紙魚にやられて使えなくなっていた。紙の書物はこんなにたくさん持っているのに、自分はいったい何をしているのだろう?
 成功者が中高年になってから漏らす感慨は、古今東西を問わず似たものがあります。若いときは貧しい中で一生懸命努力してきた。しかし、その輝かしくも懐かしい思い出は、すでに手のとどかぬものとなっているのです。

2008年11月23日。