日本漢文の世界


曝書記語釈

曝書(ばくしよ)

書物の虫干し。現代においては「虫干し」は風を通すだけで、日光に当てるような乱暴なことはしない。昔は書物を直接日光にさらして虫を殺していたらしい。曝書を行う日は、旧暦の七月七日と決まっていた。

牙籤(がせん)

「牙籤」とは、書物の分類に使う、象牙製の札のこと。昔の文人は、紅・緑・碧・白の牙籤を、それぞれ経・史・子・集の分類に用いていた。また、「牙籤錦軸」として「書物」の意味に用いる。ここでの用例も「書物」の意。なお、現代中国語では「牙籤」を「つまようじ」の意味に使う。

錦帙(きんちつ)

通常、「牙籤」とセットでは「錦軸」という表現をするが、一六居士の持っていた書物は巻物(軸)はほとんどなく、綴じ本がほとんどであったところから、わざと「帙(ちつ)」(箱に収めた綴じ本)という表現を使ったのであろうと思われる。

南面(なんめん)

君主の地位。古代中国では、王の席は北側にあり、南を向いて政治を行った。そのことから、「南面」とは君主の地位を指す語となっている。

百城(ひやくじやう)

百の城市(まち)。自分の領地としてそれだけの城市を持っていること。

()

なぞらえること。君主の位や百の城市になぞらえることができるほど、蔵書はありがたいものである。

()

あざむくこと。古人は決して欺いたわけではない。こじつけたわけでもない。蔵書を君主の位にたとえるなんて大袈裟なように思えるが、蔵書を持つ者にとっては、それは実感だ。

借覽(しやくらん)

他人の蔵書を借りて読むこと。

手寫(しゆしや)

「手づから写す」と訓読してもよい。手で書き写すこと。自分で本を買えない場合、人から借りて自分で写本を作ることは、当時広く行われていた。

()(もつ)(ひる)()ぐ。

昼夜を問わず勉強すること。「晷」(キ)は、正確にいうと「日光」のこと。韓愈の『進学解』に「焚膏油以繼晷」とある。

記誦(きしよう)

読んだ本の内容を諳記すること。

成立(せいりつ)する

一人前となること。ここでは、学業を成就して、学者として自立すること。

(みだり)

過分にも。

榮耀(えいえう)

光栄な名声。国語で「栄耀栄華」といえば、ぜいたく三昧というニュアンスがあるが、漢語にはない。

賜俸(しほう)

俸給。一六居士は、官吏として勤務し、俸給を受けて(天皇陛下より「賜って」)いたので、このような表現をしている。

(あまり)

贏(エイ)とは、収支を差し引いた純益。いただいた俸給から必要経費を差し引いた余りのお金ということ。

充箱(じうさう)

書物を入れる箱に、いっぱい書物が入っている様。

盈架(えいか)

書棚に書物が満ち溢れている様。

腹中(ふくちう)(しよ)

腹の中に蓄えた書物。要するに学問的な薀蓄のこと。これは故事成語で、『蒙求』にある辺韶(辺孝先)の話に基づいている。辺韶は、後漢代の学者で、数百人もの弟子をとっていたが、あるとき辺韶が昼寝をしているのを見た弟子の一人が「先生は大きな腹をさらして(辺孝先、腹便便)、読書に飽きて眠っておられる(懶読書、但欲眠)」と嘲笑した。辺韶はすかさず、「大きな腹には五経がつまっている(腹便便、五経笥)。寝ながらも五経のことを考えている(但欲眠、思経事)」云云とやりかえした、とある。

蠹殘(とざん)

虫食いになること。和紙の本は、ちゃんと手入れができていないと、たちまち紙魚にやられて無残な状態になってしまう。これと同じように、腹中の書、すなわち学問知識も常に磨いていなければ、使い物にならなくなる。

糟粕(さうはく)

酒を造ったあとの残り滓(かす)というのが原義。ここでは「あとに残った取るに足りないもの」という意味で使われている。そもそも書物は、聖人の過去のことばを書きとめたもににすぎず、いま著者たる聖人の指導を仰ぐことはできないという意味では「糟粕」にすぎない。荘子・外篇の第十三天道篇に、桓公が読んでいる書物が、すでに亡くなった聖人の著書であることを聞いた輪扁という人が、「王様の読んでいらっしゃるのは聖人の糟粕にすぎませんね(君之所読、聖人之糟粕耳)」と言ったという話が載っている。

唾餘(だよ)

他人の意見の余りかすという意味。比喩表現。

2008年11月23日公開。