日本漢文の世界


晴吟雨哦集序現代語訳

晴吟雨哦集の序

石坂 空洞
 新聞記者は天下の物事を皆に知らせる、「耳目」たる役目を担っている。だから、万巻の書物を読み、万里の路を踏破した者でなければ、その任には堪えないのである。しかし、書物を読む者は往往にして行動力が伴わず、行動力の有る者は往往にして読書力がない。読書力と行動力を兼ね備えた者は少ないが、敬香君はまさしくその一人であろう。
 敬香君は、かねてから万巻の書物を読み、万里の路を踏破しており、見聞の広さは、まさに天下の耳目となるに足りる。かつて静岡新聞記者となり、また山陽新報主幹となったが、記者としての名声は天下に鳴り響いた。最近また神戸新報に転任することになったが、敬香君は岡山を去るにあたって、近著『晴吟雨哦集』を私に郵送してきた。序文をお願いしたいというのだ。そこでさっそく読んでみたが、外には四季の移ろいや世の情勢や人情を歌い、内には自己の楽しみや苦しみを歌っている。およそ目に見え、耳に聞こえることを、すべて歌いこんだ詩は、全部で数首であるが、作者の意は、それらの詩によって天下の事を論じようというところにあるのである。敬香君は、かねてから万巻の書物を読み、万里の路を踏破し、天下の事を論じているからこそ、このような詩を作りうるのである。
 かくいう私自身も、若いときから気の向くままに旅に出ることを好み、全国津津浦浦に足跡をのこしてきた。旅先で知り合った人たちも日本中にあふれるほどいる。しかし、残念なのは万巻の書物を読めなかったことだ。高齢となった今では、もはや読むこともかなわない。昔のことを思い出せば、恥ずかしながら私は単なる行脚僧(あんぎゃそう)にすぎなかったのである。ああ何という違いだろうか!

2008年9月21日公開。