相撲の力士のこと。「角觝」とは二人が力比べをする競技。「角觝」の字は、『漢書』や『文選』に見える。現在「相撲」の字を用いるのは、仏典の語によるといわれる。わが国で初めて相撲が行われたのは、垂仁天皇7年7月7日で、出雲より召された野見宿禰(のみ の すくね)が、当麻蹶速(たぎま の けはや)の二人が御前で取り組み、野見宿禰が当麻蹶速を踏み殺したことが、『日本書紀』に記されている。
陣幕久五郎(じんまく・きゅうごろう、1829-1903)は、幕末の力士で、第12代横綱。出雲の八束郡意東村(現東出雲町)出身。安政三年(1856年)、阿波の蜂須賀侯の抱え力士となり「陣幕久五郎」と改称。慶應二年(1866年)、大関。慶応三年(1867年)、五条家と吉田司家から横綱の免許を受け、第12代の横綱を張る。明治維新に際しては国事に奔走し、西郷隆盛の知遇を受けた。維新後、大阪相撲に移籍して頭取となり、様様な改革を実行して、大阪相撲を東京と同格に発展させた。明治33年(1900年)、東京の深川公園に「横綱力士碑」を建立した。
江戸時代のこと。陣幕が蜂須賀大龍公の抱え力士であったのは、安政3年(1856年)から文久2年(1862年)までの6年間である。その後、文久3年(1863年)雲州、元治元年(1864年)薩摩と抱え先が変わった。
蜂須賀阿波守斉裕(なりひろ、1821-1868)のこと。徳島藩主。十一代将軍家斉の第二十二子。徳島藩主阿波守斉昌(なりまさ)に嫡男がなかったため、徳川家から養子に入った。大の相撲好きで、安政3年(1856年)に陣幕を抱えたときには、鬼面山谷五郎(のちの十三代横綱)ら十数人の力士を抱えていた。しかし、米艦来航後は沿岸警備を任されて多忙となり、文久2年(1862年)には、力士の抱えを全て解いている。
先の「角觝者」と同じで、相撲力士のこと。
陣幕は、当初は黒縅久五郎、黒縅巻之助などと名乗っていた。これを陣幕久五郎と改名したのは、阿波公の命によるという。
当時の抱え力士の待遇は、二人扶持十四俵が通例で、士分として大小を許され、藩の印付きの化粧回しが与えられた。
大名から扶持米をもらう、抱え力士のこと。
これは誤りで、安政3年(1856年)には陣幕はすでに28歳であった。
寡黙で、飾り気がないこと。
相撲部屋のこと。
陣幕の出身地は、出雲国(現島根県)八束郡東出雲下意東というところで、松江のすぐ近くであった。父は石倉伊左衛門、母は「かね」、久五郎はその三男で、幼名は槙太郎(まきたろう)と言う。
たいへん肥えていること。(ちなみに現代語では「オットセイ」のこと。)
やや成長した児童のこと。八歳以上(穀梁傳昭公十九年)、十五歳以上(礼記内則、鄭玄注)の二説があるが、ここでは十五歳以上の少年のこと。
体(軀幹)が大きくて立派なこと。
体力(膂力)が、人並みはずれて抜きん出ていること。
全国、という意味だが、ここでは出雲国中ということ。
相撲の大会。
関取、つまり力士のこと。室町時代には、強い力士を「関」と言っていた。「関」は「関門」の意で、もとは関門を守る強者という意。この強者たる「関」を打ち破ったとき「関を取る」と言い、これが「関取」の敬称になったといわれている。
もともとは「贔屓」と書く。漢語としてのもとの意味は「力を出す」ということだが、ここでは日本語の「贔屓(ひいき)」、すなわち庇護者・後援者の意味で使われている。
心から慕うこと。「贔負」の注釈。今でいえば「ファン」であろう。
そばから勧め、そそのかすこと。
江戸・京都・大阪を三都という。当時、江戸相撲がもっとも盛んであったが、京都、大阪にも職業相撲があった。
田産(土地)をたくさん所有しており、生活に余裕があること。
18歳の春、弘化3年(1846年)である。
相撲興行のこと。木戸銭を取って相撲を見せることを「勧進相撲」という。(中世には神仏への寄付銭を募る「勧進」のための相撲であったが、江戸時代には世俗化して、見世物としての相撲になっていた。)このときの雲州興行は、大阪相撲の頭取・小野川秀五郎が130人の力士を引き連れて来たものである。
階級。
当時、横綱は階級ではなく、称号であり、関取の最高位は大関であった。大関、関脇、小結は東西一人ずつで、「張り出し」はなかった。小結の下は前頭で、これは複数人いた。以上が「幕の内」で、関取としての待遇を受ける。それ以下の力士は「幕下」である。
大関、関脇、小結、前頭筆頭から五枚目まで、ということ。
大関から前頭五枚目までは、八段階になるから、当時このように呼んだらしいが、現在ではこのような呼び方はない。
当時の大阪相撲の力士。詳しい経歴などは不明。
この興行には大関ないし小結の参加がなかったから、前頭五枚目の八角が仮に大関の役目をしていた。
技の巧みな名人。
出場すること。
ここでは、激しく怒ること。
「土俵」のこと。本来は、土をつめた俵を「土豚」というが、これを「土俵」の訳語に当てたもの。
怒りで顔が膨れること。
左脇。
右腕。
挟み込む。
くだき折ること。
驚いて動悸が高まること。
助けること。
訓戒すること。
鬱憤。心の中で怒りがうずまいていること。
乃(なんじ)の子。あなたの息子。
技の過失。
いいわけ。
村中。
一心に努力すること。
身支度を整える。
うずくまること。
神気とは精神のこと。精神がくじけ、意気込みがなくなること。
まわしのこと。
もちあげる。
たきぎや炭にする木片。
平然として落ち着いた様子。
歯ぎしりして悔しがること。
約束違反。八角を土俵上で負傷させ、以前負傷させられたときの恨みを晴らすという約束をしていたのに、陣幕が敢えて八角を負傷させなかったことを指す。
弱きを助け、強きをくじき、男らしい生き方をすること。
ひいき。
酒とさかな。
旅館。
頭を地面にすりつけて謝ること。
うでまえ。
目を見張る(ほどすごいこと)。
寛大な気持ちで、相手の罪を許すこと。
自分の行いを恥じて後悔すること。
歓楽の限りを尽くすこと。
度量。
広く大きい。
特に目をかけて特別待遇すること。
後進に道を譲るため、自ら地位を退くこと。
全体のとりまとめをすること。
規則により決まった人数。
多くの人の支持。
中国の戦国時代・魏の人で、斉の国と内通していると疑われて半殺しにされ、命からがら逃げ出して秦に仕え、宰相の地位に着いた。その後は、かつて自分を半殺しにした魏斉を、当時の国際的ネットワークを用いて亡命先から締め出させ、自殺に追い込むなど、かつての恨みに徹底的に報復した。
「睚眦」とは睨みつけること。睨みつけられた程度の恨みにも、必ず報復した。恐るべき執念深さである。
(料簡が)狭いこと。
2011年1月1日公開。