井上 巽軒
電線也、火船也、自鳴鐘也、我が邦人は唯其の物を之奇として、而して其の由來する所を究むるを知らず。豈に淺見の甚しきにあらず耶。夫れ電線・火船と自鳴鐘とは、一も科學に本づかざる無し。然り而して科學は原と哲學に出づ。而して心理學は實に哲學の根基爲り。
昔者希臘の盛なるや、瑣克剌底・布拉多・亞里私特德等、前後して輩出し、哲學大いに興る。是に於て乎、科學始めて胚胎せり。
後文運移つて羅馬に入る。羅馬滅ぶに及び、夷狄猖獗にして、哲學幾んど絶え、僧徒纔かに之を傳へり。降つて中世の末に至り、哲學復興る。倍根英に出で、垤加爾多佛に出づ。倍根は實驗を尚び、垤加爾多は論法を尚ぶ。東西對立し、一世を振撼す。歐州の哲學、此に由つて分れて二派と爲る。蓋し韓圖及び費希的・設林・歇傑爾、其の他獨逸の諸先輩は、垤加爾多の學を傳へ、而して之を大成す。即ち論法に由つて眞理を究む。洛克及び牛董・彌兒・達兒尹・蘇邊薩、其の他英の諸先輩は、皆倍根の後に出で、而して其の學風を傳ふ。即ち實驗に由つて眞理を究む。
是に於て乎、眞理を究むるの法盡きたり。而して人智は開發し、科學始めて其の精を窮む。電線懸れり。火船走れり。自鳴鐘鳴れり。科學は原と哲學に出づるを知る可き也。
抑も電線は紙鳶に起れり。火船は鍋蓋に起れり。自鳴鐘は懸燭に起れり。其の縁つて起る所、皆尋常習見する所の物に外ならず。而も我が邦の人之を創むる能はざる者は何ぞ也。其の尋究推度の力有らざるを以て耳。尋究推度の力を得んと欲せば、哲學を興すに若くは無し。哲學を興さんと欲せば、心理學を興すに若くは無し。心理學は實に哲學の根基爲る也。
或ひと曰く、「電線の祖は、富蘭克林也。火船の祖は、瓦德也。自鳴鐘の祖は、加里列阿也。此の三氏は、皆物理學家也。未だ其の哲學を修むるを聞かざる也。今哲學を以て之が本と爲すは、則ち俗に所謂水を我田に引く者か非耶。」と。其れ然り、豈に其れ然らん乎。彼の三氏は、哲學を修めずと雖も、而も其の尋究推度の力を得たる者、蓋し亦諸先輩の實驗哲學を興し以て之が端緒を開くに由る耳。
我が東洋の如きは、哲學に乏しからずと雖も、而も論法未だ其の精を窮めず、實驗未だ其の法を得ず。而して繼起するに其の人無し。此れ其の創起すること少き所以なる歟。
請ふ支那に就て之を證せん。周の末に當り、哲學將に大いに興らんとす。孔子は愛他説を唱へ、而して孟子之に和す。楊子は自愛説を唱へ、而して墨子は兼愛説を唱ふ。任他説は老莊に始まる。干渉説は申韓に出づ。功利説は管商に起る。儒家は天命説の祖と爲り、墨は非命説の祖と爲る。論法は公孫子に本づき、物理論は亢倉・關尹二氏に胚胎す。嗚呼亦た盛ならず乎。然れども漢魏六朝以降、詞章の學盛にして、而して眞理を講ずるの學は息むるに幾し。降つて趙宋に至り、周・邵・張・陸・程・朱等、陸續輩出し、往聖を紹ぎ、來哲を啓く。是に於て哲學復將に興らんとす。而るに復遂に廢せり。朱明の世には、唯王新建一人有る而已。薛敬軒・陳白沙・胡敬齋・楊升庵の徒の如きは、豈に數ふるに足らん哉。是に由つて之を觀れば、支那も亦哲學に乏しからず。而るに繼起するに其の人無し。故に遂に大いに興らざりき。近世に至るに迨んでは、眞理を究むる者は、落落たる晨星にして、百に一二を見ず。是を以て人智退くこと有りて進むこと無し。
余也幼き自り好んで眞理を究む。後大學に入り、專ら哲學を攻む。東西の異書を讀み、苦學歳を經、今に至つて稍見る所有り。乃ち先づ倍因の心理篇を抄譯せり。蓋し倍因は彌兒・蘇邊薩諸氏と、同じく實驗學派に属す。故に其の説精核にして、最も憑信す可し。然りと雖も、其の論純正哲學に渉る處は、間確當ならざる者有り。且つ其の書浩瀚にして、童蒙に便ならず。故に其の切要の處に就て、取捨折衷し、此の書を作爲せり。名づけて心理新説と曰ふ。將に以て哲學を興すの楷梯と爲さんとす。
倍因名は亞歴山大。蘇格蘭の人なり。學問該博にして、屹として一代の鴻儒爲り。
2003年2月23日公開。