日本漢文の世界


心理新説序語釈

心理(しんり)新説(しんせつ)(じよ)

井上哲次郎博士が、明治15年(1882年)に抄訳・刊行した、『倍因氏心理新説』(英国の心理学者Alexander Bain原著)の序文。

火船(くわせん)

汽船(steamer)のこと。中国では、「火輪船」、「火輪」と呼ぶが、「火船」は一般的ではない。 

自鳴鐘(じめいしよう)

置時計のこと。中国にはマテオ・リッチ(利瑪竇1552-1610)が1601年(明の時代)にもたらし、時間が来たら鐘が鳴ることから、自鳴鐘の名で呼ばれた。 

淺見(せんけん)

見解が浅薄なこと。

()

発語の辞。「そもそも」とか「さて」という感じ。 

科學(くわがく)

scienceの訳語で、当時は新語であった。 

哲學(てつがく)

Philosophyの訳語。当時は「理学」と訳されることも多かったが、「哲学」の方が定着した。

根基(こんき)

基礎。 

瑣克剌底(ソクラテス)布拉多(プラトー)亞里私特德(アリストートル)

ギリシアの三大哲学者。ちなみに中国では、ソクラテスは「蘇格拉底」、プラトンは「柏拉図」、アリストテレスは「亜里士多徳」とする。

輩出(はいしゆつ)

つぎつぎと出てくること。 

胚胎(はいたい)

はじまること。「みごもる」というのが原義。 

夷狄(いてき)

野蛮人。ここでは、ローマを滅ぼしたゲルマン人のこと。

猖獗(しやうけつ)

たけり狂うこと。 

僧徒(そうと)

基督教の僧侶たち。彼らの伝えた哲学とは、いわゆるスコラ哲学のこと。 

倍根(ベーコン)

フランシス・ベーコン(Francis Bacon 1561-1626)。今日の音訳では、「培根」。経験論哲学の祖。デカルトとともに近世哲学の創始者といわれる。

垤加爾多(デカルト)

ルネ・デカルト(Rene Descartes 1596-1650)。中国では「笛卡児」とする。ここでは観念論哲学の祖として紹介されている。「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉(方法序説)は有名。数学の方面でも、解析幾何学の創始、代数式の考案など、著しい活躍をした。 

論法(ろんぱふ)

議論の方法。論理学。 

振撼(しんかん)

震撼。ゆりうごかすこと。 

韓圖(カント)

イマヌエル・カント(Immanuel Kant 1724-1804)。中国では「康徳」。近代哲学の祖といわれる大哲学者。著書に「純粋理性批判」「実践理性批判」がある。カントの批判哲学を継承するドイツの観念論的哲学を「ドイツ観念論」と呼ぶ。

費希的(ヒフテ)

フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte 1762-1814)。中国では「費希特」。ナポレオン占領下のベルリンで「ドイツ国民に告ぐ」という講演をしたことで有名。 

設林(セルリン)

シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling 1775-1854)。中国では「謝林」。彼の哲学は、美的観念論と言われる。 

歇傑爾(ヘーゲル)

ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770-1831)。中国では「黒格爾」。弁証法哲学の創始者。 

洛克(ロツク)

ロック(John Locke 1632-1704)。中国でもこの音訳を用いる。イギリス認識論の創始者。

牛董(ニウトン)

ニュートン(Sir Isaac Newton 1643-1727)。中国では「牛頓」。ニュートンは、哲学者というより物理学者・数学者。物理学では、万有引力の法則を発見し、「ニュートン力学」を完成させ、数学ではライプニッツとともに微分・積分学の創始者とされる。

彌兒(ミル)

ミル(John Stuart Mill 1806-1873)。中国では「穆勒」。古典派経済学者として、 『経済学原理』の著書があるほか、人道主義的社会主義の立場から、「自由論」等の著作がある。

達兒尹(ダルイン)

ダーウィン(Charles Robert Darwin 1809-1882)。中国では「達爾文」。博物学者で、進化論の確立者として有名。主著『種の起原』は現在も読み継がれている。

蘇邊薩(スペンセル)

スペンサー(Herbert Spencer 1820-1903)。中国では「斯賓塞」。社会学に進化論を取り入れた。

紙鳶(たこ)

米国のフランクリンが1752年にフィラデルフィアで行った有名な凧の実験のこと。

鍋蓋(なべぶた)

英国のワットは少年のとき、湯が沸くと鍋のふたが動くのを見て、蒸気機関の原理を悟った。

懸燭(けんしよく)

ガリレイは、教会の吊灯(つりとう)がゆれるのを見て、振り子の等時性の原理を悟った。

尋常(じんじやう)

ふつう。

習見(しふけん)

いつも見なれていること。

尋究(じんきう)

研究すること。

推度(すいたく)

推論すること。

富蘭克林(フランクリン)

フランクリン(Benjamin Franklin 1706-1790)。中国では「弗蘭克林」。アメリカの政治家、科学者。凧を用いて雷から電気を取り出した実験(フィラデルフィアの実験)は有名。

瓦德(ワツト)

ワット(James Watt 1736-1819)。中国では「瓦特」。蒸気機関の改良者。蒸気機関の発明者はニューコメンだが、彼の蒸気機関は非効率きわまるものであったので、これを改良し実用化したワットの方が有名になった。

加里列阿(ガリレオ)

ガリレイ(Galileo Galilei1564-1642)。中国では「伽利略」。ガリレイは近代科学の創始者といわれる。地動説を唱えたかどで羅馬教皇庁から有罪とされた。その「名誉回復」と教皇の謝罪は1983年(昭和58年)になってからであったことは、記憶に新しい。

端緒(たんしよ)

はじめの糸口。

東洋(とうやう)

わが国では、アジア東部の総称。中国では「東方」という。中国では、「東洋」は「アジア東部の海洋」で、清の時代には日本のことも「東洋」と言っていた。

繼起(けいき)

後を継いで盛り立てること。

創起(さうき)

創始すること。

支那(しな)

中国のこと。「支那」は決して蔑称ではなく、仏典に由来する由緒正しい呼称である。

(しう)(まつ)

周は、古代中国の周王朝のことで、その終わり頃、つまり春秋戦国時代を指す。

孔子(こうし)

孔子(前551-前479)は儒学の祖。名は丘、字は仲尼。春秋時代に魯の国に生まれ、古典を集大成した。後世の人人は「聖人」として崇めている。言行録である『論語』は必読の古典。

愛他説(あいたせつ)

孔子の思想を一言で言えば「他人を愛する」ということに尽きるということ。「仁」を根本とする儒教道徳の井上博士による要約。

孟子(まうし)

孟子(前372-前289)は、名は軻、字は子輿、または子居、子車。彼の思想は「性善説」と呼ばれる。孔子思想のもっとも忠実な祖述者。『孟子』も必読の古典。

楊子(やうし)

楊子は、名は朱、字は子居。戦国時代の思想家。生没年不詳。著書も伝わらず、『孟子』や『列子』に名が出ているだけである。個人主義(為我説)を説いたとされる。

自愛説(じあいせつ)

自分を尊重することを重んじる説で、要するに個人主義である。この語は井上博士による要約で、ふつうは「為我説」と呼ばれる。

墨子(ぼくし)

墨子(前480?-前390?)は、名は翟(てき)。兼愛・非攻説を唱えた。『墨子』の書がある。孟子が排撃したので、漢時代以降は彼の説は廃れた。

兼愛説(けんあいせつ)

自分も他人も分け隔てなく平等に愛することを主張する説。一種の博愛主義。これを国家にまで及ぼすと戦争もなくなるという、平和主義をも説いている。

任他説(にんたせつ)

他にまかせる説、ということ。井上博士が老荘の無為自然説を要約した語。

老莊(らうさう)

老子と荘子(そうじ)。老子は、姓は李、名は耳(じ)、字は耼(たん)。楚の苦県(こけん)の人。生没年不詳。史記の孔子世家と老子韓非列伝に、孔子と会見したことが出ている。荘子は名を周という。戦国時代の蒙の人。生没年不詳。老子の祖述者。

干渉説(かんせふせつ)

申韓の学である「刑名の学」は一種の法治主義だから、このように要約した。 

申韓(しんかん)

申不害と韓非。ともに戦国時代の人。申不害は生没年不詳。著書『申子』は一部分が伝わるだけである。韓非は生年不詳、没年は前233年頃。秦の李斯とともに荀子に学んだが、李斯の奸計にかかり殺された。著書『韓非子』は政治・法律を説いている。

功利説(こうりせつ)

功績と利益を重んじる説。功利主義。申・韓・管・商などの法家思想は功利主義ということもできる。

管商(くわんしやう)

管子と商子。『管子』は、管仲の作と伝えられる。管仲(?-前645)は名を夷吾といい、春秋時代の斉の人。牧民篇の富民論は有名。『商子』は、秦の商鞅(しょうおう)の作とされるが、実は後世の付託だといわれる。『商子』も富国強兵論を説いている。

儒家(じゆか)

孔子を祖とする儒教の学派。

天命説(てんめいせつ)

運命論(決定論)。ものごとは天命により決まっていて、人力をもってしては変えられないとする説。

(ぼく)

前出の墨子(の一派)。

非命説(ひめいせつ)

非決定論。天命説(前出)の逆の立場。

公孫子(こうそんし)

公孫龍(前320?-前250?)のこと。『公孫龍子』の略。『公孫龍子』は、「名家」に属する。一種の論理学である。

亢倉(かうさう)

『亢倉子』という道家の書物があり、周の時代のものといわれているが、今では唐人の偽撰とされる。亢倉子は老子の弟子。唐朝では道教を尊んだので、こうした偽経がたくさん作られた。

關尹(くわんゐん)

『関尹子』も道家の書で周代のものといわれていたが、これも唐人の偽撰である。関尹子は老子の同時代人である。

(かん)(ぐゐ )六朝(りくてう)

漢と三国の魏、南都建康に都をおいた六朝(三国の呉、東晋、宋、斉、梁、陳)。この時代、詩文が非常に栄えたので、このように総称している。

詞章(ししやう)

詩文の総称。

(かう)

きわめること。

()

消えてしまう。やめてしまう。

趙宋(てうそう)

宋の時代。前出の六朝の宋と区別して、皇帝の姓「趙」をつけて呼ぶ。

(しう)

周敦頤(しゅう・とんい 1017-1073)。字は茂叔。謚は元公。宋学の創始者。文章では「愛蓮説」が有名。程顥(てい・こう)、程頤(てい・い)は彼の弟子。

(せう)

邵雍(しょう・よう 1011-1077)。字は尭夫。謚は康節。宋学の初期の学者。

(ちやう)

張載(ちょう・さい 1020-1077)。字は子厚。横渠(おうきょ)先生と呼ばれた。宋学の初期の学者。

(りく)

陸九淵(りく・きゅうえん 1139-1192)。字は子静、号は象山。宋学の学者。朱子とは対立した。

(てい)

程顥(てい・こう)と程頤(てい・い)。程顥(1032-1085)は、字は伯淳。明道先生と呼ばれる。程頤(1033-1107)は、字は正叔。程顥の弟。伊川先生と呼ばれる。二人は二程子と呼ばれ、朱子とともに宋学の完成者である。

(しゆ)

朱熹(しゅき 1130-1200)。字は元晦、謚は文。宋学の完成者。二程子を祖述し、さらに発展させた。彼の学問は朱子学と呼ばれ、後世に大きな影響を与えた。

陸續(りくぞく)

絶え間無く続くこと。

往聖(わうせい)()

往聖とは、昔の聖人。尭・舜や孔子・孟子を指した。それらの聖人の後を継承するということ。

來哲(らいてつ)(ひら)

来哲とは、後世の知者。後世の知者を啓蒙した、という意。たしかに宋学は日中韓の学問に大きな影響を与えている。

(はい)

すたれる。

朱明(しゆみん)

明の時代。皇帝の姓が朱なので、こう呼ぶ。

王新建(わうしんけん)

王守仁(おう・しゅじん 1472-1528)。字は伯安、号は陽明、謚は文成。陽明学の祖。新建伯に封ぜられたので、王新建とも呼ぶ。

薛敬軒(せつけいけん)

薛瑄(せつ・せん 1392-1464)。字は徳温、号は敬軒、謚は文清。明代の朱子学者。

陳白沙(ちんはくさ)

陳継儒(ちん・けいじゅ 1558-1639)。字は仲醇。明代の儒学者・文人画家。画の方が有名。

胡敬齋(こけいさい)

胡居仁(こ・きょじん 1434-1484)。字は叔心、号は敬斎、謚は文敬。明代の儒学者。

楊升庵(やうしようあん)

楊慎(よう・しん 1488-1559)。字は用修、号は升庵。明代の儒学者。幅広く活躍し、雑劇などの作品もある。

落落(らくらく)たる晨星(しんせい)

「落落」は、まばらであることの形容。晨星は明け方の星で、夜が明けてゆくに従って、見える星もまばらになることから、ほとんどない意味を表す。

異書(いしよ)

めずらしい書籍。稀覯本。

抄譯(せうやく)

一部分を翻訳すること。

精核(せいかく)

細かいところまでしっかり究明していること。

憑信(ひようしん)

信頼すること。

純正(じゆんせい)哲學(てつがく)

「純正」とは、純粋で混じりけがないこと。ここでは純粋な哲学理論という意。

確當(かくたう)

正確。

浩瀚(かうかん)

(巻数が)たくさんあること。

童蒙(どうもう)

年が幼く、無知な子供というのが原義。ここでは哲学に無知な初学者のこと。

便(びん)ならず

適当でないということ。

切要(せつえう)

非常に重要ということ。

取捨(しゆしや)折衷(せつちう)

取捨選択し、過不足を補うこと。 

作爲(さくゐ)

つくること。

楷梯(かいてい)

「階梯」と同じ。ものごとを学ぶ道筋、順序。

該博(がいはく)

学識が深く広いこと。

(きつ)

高くそびえている様子。

鴻儒(こうじゆ)

大学者。

2003年2月23日公開。