姓・号 | 井上 巽軒(いのうえ そんけん) |
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生没年(享年) | 安政2年(1855)-昭和19年(1944) (90歳) |
諱(いみな) | 哲次郎(てつじろう) |
字(あざな) | |
通称 | |
雅号 | 巽軒(そんけん) |
謚(おくりな) | |
出身地 | 筑前国(福岡県)大宰府 |
師の名 | 中村敬宇など |
官職等 | 東京帝国大学教授、貴族院議員 |
代表的著作 | 英独仏和・哲学字彙 倍因氏心理新説 新体詩抄 勅諭衍義 日本陽明学派之哲学 日本朱子学派之哲学 日本古学派之哲学 明治哲学界の回顧 |
肖像: | |
伝記: 大宰府に生まれ、長崎広運館に学んだ後、明治8年(1875年)に上京、東京開成学校、東京帝国大学に学んだ。 明治14年(1881年)、哲学の訳語集『哲学字彙』を発刊。事実上の哲学標準訳語集として珍重された。翌年には心理学の訳書『心理新説』、詩集『新体詩抄』を出版。『新体詩抄』は、矢田部良吉、外山正一との合作で、西洋の詩体にならって新体の詩を実作したものである。訳詩13篇、創作9篇を収め、わが国での新体詩創作の嚆矢をなすものとして高く評価されている。 明治17年(1884年)、哲学研究のためのドイツ留学を命ぜられた。明治23年(1890年)の帰国後、東京帝大教授。翌年文学博士。ドイツからの帰国直後、発布されたばかりの「教育勅語」の解説者に選ばれ、『勅語衍義』を刊行した。その後も東洋思想の研究を続け、『日本陽明学派之哲学』、『日本朱子学派之哲学』、『日本古学派之哲学』の日本漢学三部作等の著書がある。哲学者としては、東洋・西洋の思想統合を目指し、「現象即実在論」を体系化しようとした。 大正12年(1923年)、東京帝大を69歳で退官し、大正14年(1925年)には貴族院議員となる。翌大正15年(1926年)に著した『我が国体と国民道徳』で筆禍事件が起こり、すべての公職を辞した。晩年は上智大学で、東洋哲学史を講じた。 昭和19年(1944年)、90歳で没。 | 2003年2月23日 |