星野 豊城
狂言は能楽の一種である。ことばつきが滑稽で、役者がおどけて笑うようすも面白く、観客は抱腹絶倒する。そこで、能の公演では、能の間に必ず狂言を演じて、観客が退屈しないようにしている。しかし、狂言にも勧善懲悪のストーリーをもつものがある。『牛盗人(うしぬすびと)』はその一つだ。
明治16年6月17日、私は能楽堂で『牛盗人』を観た。
まず立派なヒゲを生やし、烏帽子をかぶって上下(かみしも)を付け、刀を横に持って奉行が登場する。奉行が大声で人を呼ぶと、二人の小役人が走りよって、うやうやしく命令をお聞きする。
「法皇さまの牛を盗んだものがいるが、まだ捕まっていない。はやく懸賞をかけて捕まえよ。」
小役人たちは、かしこまって命令を聞いている。
「通報した者は、たとえ共犯者であっても罪を許し、褒美は望みどおりに取らせる。」
小役人たちは「かしこまりました」と退場する。
すると一人の童子がやってきて訴える。
「私は犯人を知っています。通報しにまいりました。」
「犯人は誰だ?」
「兵庫三郎です。」
「証拠はあるのか?」
「証拠は必要ありません。私と三郎を対決させていただきますと、はっきりいたします。」
そこで、二人の小役人たちに三郎を逮捕させる。
奉行は三郎を責めていう。
「なぜおまえは法皇さまの牛を盗んだのか?」
三郎は平気な顔で、うす笑いを浮かべて答える。
「これはこれは、御奉行様。なにかの間違いではございませんか。わたくしめは、そのようなことは一切いたしておりません。」
そこで、奉行は先ほどの童子を連れてくる。すると、三郎はたちまち顔色を変え、うろたえて震える声で言う。
「恐れ入りました。たしかに私が牛泥棒です。もちろん牛を盗むのが大罪とは存じておりますが、亡き母の命日が近づいているのに、金がなくて法事もろくにできません。それでやむなくやったのです。しかし、証拠はまったく残していないので、他人が訴えたのなら、私は白を切りとおすのだが、こやつが訴えたとなると、どうしたものやら。」
三郎は歯ぎしりして童子をにらみつけた。
奉行が童子に問いかける。
「おまえはこの泥棒と知り合いか?」
「はい。私の父親でございます。」
三郎は言葉するどく童子をののしる。
「おまえは父親を訴えるとは、なんと恩知らずなやつだ。わしは母さんと二人でおまえを十年以上苦労して育ててやったというのに。一枚の着物もおまえにゆずり、一杯の飯もおまえに食べさせた。親子の情からすれば当然かもしれぬが、晩年はおまえに見てもらいたいとの思いもあったのだ。おまえはやっと大きくなってきたというのに、親の罪をかくさずに、わしを死罪におとしいれるとは。」
三郎は泣き泣きかきくどいた。
しかし奉行は冷然と言いはなった。
「おまえは死罪を犯したのだから、処刑は免れぬ。何を言っても無駄だ。」
奉行は、二人の小役人に三郎を引き出して牢屋に入れさせ、翌日処刑を行うと宣言した。
すると、童子が急に手を挙げて言った。
「泥棒は捕まりました。どうぞわたしに褒美を取らせてください。」
奉行はふりむいた。
「そうだ、忘れるところだった。何がほしいかね。米か? お金か? それとも饅頭か?」
「そんなものはいりません。どうか父の命を助けてください。」
「それはできん。」
「それでは、お上はうそをおつきになるのですか。高札には、『通報した者は、たとえ共犯者であっても罪を許し、褒美は望みどおりに取らせる。』と書いてあるではありませんか。法皇さまの牛を盗むのは、もちろん大罪でございます。他人が通報したならば、父は絶対に死刑を免れません。それで私が通報して、褒美に父の命を助けていただこうと思いました。お上の高札を信じたからです。もしお上の仰せにうそいつわりがないならば、どうか父の命を助けてください。それがだめなら、私も父と一緒に死ぬばかりでございます。」
そういうと、童子はしゃくりあげて泣いた。
三郎は童子のことばを聞いて、童子がけっして裏切るつもりだったのではないと分かり、よろこびのあまり大声で泣き出し、さっき口汚く罵ったことを心から悔やんだ。奉行も小役人たちもこの光景にすっかり感動して、牛泥棒を許してやることにした。
許された牛泥棒とその子は、しっかり抱き合うと、大喜びで帰っていった。
この芝居で三郎の役を演じたのは三宅庄市である。庄市は、年齢五十あまりで、狂言師のなかでは押しも押されもせぬ名手である。そのせりふや動作、喜びや怒りの表現のひとつひとつにいたるまでが迫真の演技で、あたかも自分自身がその場にいあわせているかのようだ。だからこそ、大声で泣く場面では、満場の観客全員が泣いたのだ。庄市の舞台を観て、なぜそんなに泣いてしまったのか。それを説明できないのは、なんだか悔しい。そこで舞台の詳細を記録してみたのだ。
2003年8月10日公開。