「念(niàn)」の字は、「廿(niàn)」と同音なので、二十の意味を表す。「ネンハチニチ」という読み方もある。
この鳴門見物に同行した二人の名。津田氏を「某」としているのは、彼が雅号や字(あざな)を持っていなかったからと推量される。
淡路島西岸の津名郡一宮町にある漁港。播磨灘に接している。ここまでは洲本(淡路島東岸)から陸路で行ったものと思われる。江井は、昭和初期まではマッチ生産で栄えた。現在は線香の産地として有名。
曇るか晴れるか。
「篙」は棹のこと。「篙郎」は船頭のこと。「篙師」とも。
午後三時。「三点」は国語の「三時」にあたり、「三点時」とは「三点(さんじ)」の「時」という意。
纜(ともづな)を解いて、出航すること。
江井崎のこと。江井港の右側にある岬。
刺すような寒さをいう形容。
弁当のこと。(もとの意味は、旅の途中で食べ物を煮炊きすること。)
乾杯すること。口語的な言い方。
酒に酔って、体がほてる作用。
現在は「都志」と表記する。五色町の都志港のあるところ。「湾」といっても規模は小さい。都志は、高田屋嘉兵衛の生誕地として有名。
景色。
五色浜のあたり。鳥飼漁港がある。
水際にある小石。
色彩が鮮やかで綺麗なこと。
にぎりこぶし。
鶏卵。明治のころなので、現在のような大きなサイズではなかったと思われる。
大波、小波。
洗い清められること。
宝石に似たきれいな石。にせ宝石。河北省の燕山でとれた綺麗なただの石ころを、宝石と信じて非常に珍重していた人がいたことからできた故事成語。
本体が黒い色であること。
白いすじが入っていること。
「肌」は肉または皮膚のことだが、ここでは本体が赤い色ということを表している。
黄色い模様が入っていること。
白い硬玉。縞瑪瑙(オニックス)を指す場合もある。
しのぐ。
つやのある赤い色。
ルビー。
瑠璃は青い宝石なので、青い色。
磁器の盆。「盆(pén)」とはもともと鉢のことだが、ここでは国語の「盆」、つまり平たい大皿のこと。
並べて置く。陳列する。
黄、赤、白、黒、青の五色
燦爛。きらきらと輝くさま。
ここでは、土地の言葉、というくらいの意味。
淡路島西岸の景勝地。五色とは、琥珀色、瑠璃色、瑪瑙色、白色、斑紋の五色。現在は海水浴場もある。なお、この浜で採れる五色の石は須磨の武庫離宮(現在の須磨離宮公園)庭園にも使われた。ちなみに、女媧の補天伝説に出てくる五色の石は、五行思想に因んで、青・白・黄・赤・黒だという。
めずらしい石。
舟のへさきの部分。
水辺。
櫂(かい)を使って舟をこぎ進めること。
浅瀬で露出している砂や石。
ここでは、山などに立ち込める水蒸気のこと。
「蘸(サン zhàn)」は、もともとは物を水に沈めること。今は水などでぬらす意に使われる。ここでは山が雨でぬれている様子。
申の時。午後3時から午後5時の間。
現在の津井港(西淡町)。津井は、瓦の産地として有名で、津井港は瓦の出荷で賑わった。ただし、瓦製造の最盛期は昭和に入ってからなので、この文章が書かれた頃は、まだ幕末(安政期)に改修された港の面影があったと思われる。なお、「埠頭」は船着き場のこと。「碼頭」とも言う。
「裳(シャウ cháng)」はスカート、つまり、「はかま」。「韈(バツ wà)」は通常「襪」と表記される。こちらは、靴下、つまり「たび」のこと。
いなか村。
宿屋。
人力車のこと。当時の文献で人力車を「腕車」という訳した例は、ほかにも見られる。(『漢訳不如帰』など)
伊加利村のこと。昭和32年他村と合併して西淡町の一部になった。津井川を4キロほど遡ったところにある丘陵盆地。
仲野家は、江戸時代を通じて伊加利村の庄屋(しょうや=今で言えば村長のような役)の家柄。宝暦年間に活躍した仲野安雄(号は修竹)は、淡路島の郷土誌「淡路常盤草」を著したことで有名。ここに出てくる仲野氏は、その子孫だと思われる。
泊まること。
目的地までの距離。
一里ばかり。ここでは、日本の里(4キロほど)。
健康で力があること。また、三十歳を壮、四十歳を強、という(礼記)ことから、三、四十歳代のことを言う。
軀はからだ。老体ということ。このとき竹渓は63歳。
疲れはてること。
「弊履」というのと同じ。履き古したくつ。
くつのひも。
すてられた縄。
「迂廻」も「盤折」も曲がりくねっていること。
町はわが国特有の度名で、1町は約109メートル。
疲れ切ること。
「笑欛」は、ふつう「笑柄」と言う。笑う材料ということ。
大慌てしている様子。あわてて衣服を逆に着ているということから。
きわめて短い時間。
酒を飲んで、よっぱらうこと。
婚姻によって親戚となった者。
妻。
(怖じ恐れて)あわてふためく様子。
見かけない表現だが、「襟を正す」くらいの意味で使われている。
「じかに会ってお詫びする」ことだが、ここでは「じかに顔を見て謝る」くらいの意味。
おもわずふきだすこと。もともとは、飲食中におかしくてふきだし、口の中の食べ物が全部外に出てしまうという意。
阿那賀(西淡町)。もともと漁村だが、近年「うずしおライン」(有料道路)が出来てから観光地となった。
人名。「くみよし」さんでしょうか。読み方がわからないので、音読しておく。
道案内をすること。
瓦葺の家。
魚のうろこのように整然と並んでいること。
原本には「漁十八」とあるのが、意味が通らず、恐らくは誤脱と思われる。阿那賀村は、明治24年の調査で戸数330、人口1,523人なので、「十八」は家が18軒という意味ではない。「十分之八」が漁師の家(漁戸)という積もりかもしれないが、不明。
遠くから見渡すこと。
美しい景色。
枚乗(?-前140)。漢の時代、淮陰(わいいん=現在の江蘇省淮陰県東南)の人。字(あざな)は叔。初め呉王劉濞に仕え、上書して諌めたが納れられず、去って孝王劉武に仕えた。後に景帝に召され、弘農都尉となった。文章をよくし、作品では「七発」が有名。
枚乗の代表作。文選巻三十四所収。楚の太子が病気になったとき、呉の客が七つの事を挙げて啓発するという内容。これがあまりにも有名になり、後人が多く模倣したので、「七」はついに一つの文体となるに至った。
「閲(エツ yuè)」の字は「けみす」とよむ。ここでは「読む」くらいの意。
「望(ボウ wàng)」は陰暦十五日。この句を引用しておくと、「客曰、将以八月之望、与諸侯遠方交游兄弟、並往観涛乎広陵之曲江(客いわく、まさに八月の望をもって、諸侯遠方の交游兄弟と、並びに往きて涛を広陵の曲江に観んとす)。」この句から、「観潮」といえば「広陵」と決り文句になっている。広陵の曲江では、八月の既望(十六日)から十八日までの間が、もっとも潮が大きくなるということで、古来多くの観潮者で賑わうという。
揚州(江蘇省江都県)。
「曲江」は「錢塘江」の別名。この川は浙江省を流れ、杭州湾に注いでいる。くねくねと曲がっているので「曲江」、「浙江」と言う。河口が漏斗のような形に開いており、満潮時に海水が押し寄せて、すさまじい潮流ができる。
地勢的に危険が多い場所を「険(ケン xiàn)」という。鳴門は、海の「険」である。
少しの間。しばらくの間。
舟を準備して着岸させること。
満潮から干潮にいたる期間。ひきしお。
阿那賀港から見て右側にある岬。鎧崎から津井港のあたりにかけては海岸が岩場になっており、なかなかの見ものである。
みずどり。ここでは海ガモのたぐい。
岬(ここでは門崎)の北側。門崎(とざき)と中瀬(なかぜ)の間には、「小落とし」(この文では「小鳴門」)という激しい潮流が見られる。
けわしい岩場。
よじ登る。
高くけわしい岩。「奇岩峻石」。
はげしい波。
水が浅く、流れが急なところ。はやせ。
肉を細く切ったもの。ここでは刺身のこと。
鳴門の渦潮には、門崎(とざき)と中瀬(なかぜ)の間の浅瀬を流れる「小落とし」と、中瀬と孫崎の間を流れる「大落とし」の二つがある。これらを「小鳴門」、「大鳴門」と呼ぶのは古い呼び名。なお、「鳴門」は、その音を立てて流れる潮流から「鳴る瀬戸」と呼ばれたのが語源だという。
「小落とし」と呼ばれる渦潮で、淡路島の門崎(とさき)と中瀬(なかぜ=後出)の間の浅瀬を流れる急な潮流。
「淡路」の略。
「中ノ瀬」ともいう。長さ約9メートル、幅約4メートル、高さ1.8メートルの岩礁。
至極(しごく)・獰猛(どうもう)の二語を組み合せ。波のたけり狂うところ。
ここでは、波が階段のように段段になって落ちてゆくこと。「段落」とは普通文章(や音楽)の切れ目のことなので、特殊な用法。
いなずま。速いことにたとえる。
雷のとどろき。すさまじい響きをたとえる。「轟雷」とも。
くじら。「ゲイゲイ」と音読してもよい。
サメとワニ。
とびちるしぶき。
かさなり、つならること。
真っ白である。この語は枚乗の「七発」に出ている。
「頃」は面積の単位(約182アール)。非常に広い範囲にわたることの形容。
千頃の波瀾が、「一様」(全部同じよう)に見える。
中瀬と孫崎の間を流れる「大落とし」のこと。
「阿波」(現徳島県)の略。
おおきな渦まき模様。
大きな「巴」の字のように波がまわっていること。
ぐるぐると廻ること。「廻旋」は原本の「廻施」を改めた。
大鳴門の生じる海峡の主水道では、深さ150~200メートルほどの海釜になっている。
水中にかくれている岩石。
ほとばしること。
酒の肴。
鳴門海峡の孤島。裸島の南東にある。標高25メートルの、砂岩と泥岩からなる島。この島の周辺は潮流が激しく、古くから海の難所といわれている。
鳴門公園相ケ浜(あいがはま)の沖100メートルにある小島。岩肌が露出した景観によりこの名がある。ただし、現在は大鳴門橋の橋脚が島に建設され、道路が島の真上を通ってしまったため、昔の面影はなくなってしまった。
根が地上に露出していること。
仔細に見ること。
左にめぐること。
高くけわしい崖(がけ)。
高い崖(がけ)。
ふつうとは違う状態。
自然の造化によってできること。
結晶質の石。
城壁の上につくる低い垣根。古代中国のものは、でこぼこや隙間が多く付けてあり、そこから矢を射て敵を防ぐようになっていた。
家の柱。
牡鹿の角。ちなみに、戦時につかう「逆茂木(さかもぎ)」も「鹿角」というが、これも牡鹿の角に似ているところから来ている。
大小の山山。
高く垂直に切り立った崖。絶壁。
ひっくりかえること。
「模写」に同じ。似せて書くこと。
東洋画の皴法のこと。皴法というのは、山水や樹木、岩石などの凹凸や陰翳(ひだ=皴)を表す技法。ここでは、実際の景色を画に見たてている。
披麻皴(ひましゅん)。麻の皮を開いたように、線を幾重にも重ねて、山や石のひだ(皴)を描く画法。
荷葉皴(かようしゅん)。蓮の葉脈のように、山や石のひだ(皴)を描く画法。
大斧劈皴(だいふへきしゅん)。山や岩を描くのに、斧できりさいたような鋭い筆致をもちいる画法。
つや。光沢。
青い苔(こけ)。
牡蠣(かき)の貝殻。
年を経て古びた様子。本来は書画など芸術品に対していう語。ここでは実際の景色を画にたとえて言っている。
その状態(ここでは「古色」)が外に溢れ出していて、まるで手ですくいとれるようであること。
淡路島南西部の南淡町にある。福良湾は天然の良港で、古代から四国と淡路を結ぶ交通の要衝として発展し、島内経済の中心として栄えた。現在はうずしおラインや大鳴門橋の開通によって交通の要衝としての役割を阿那賀にゆずり、観光地として発展している。
古くからの知り合い。
ていねいであること。
煙島。福良湾内の島で、周囲約400メートル。原生林で覆われている。源平の合戦のとき、一の谷で討たれた平敦盛を、この島で荼毘に附したところ、ゆらゆらと煙が立ち昇ったことから「煙島」と名づけられたと言われている。
洲崎。福良湾内の島。長さ約33メートルの砂州。舟番所が置かれていた。
陸路を行くこと。
鍛冶屋村。大日川左岸の地域であるが、明治10年に賀集村(かしゅうむら=現在は南淡町の一部)の一部となったので、この当時はすでに存在しない村名である。竹渓は古い地名を使用している。
期待した以上によいこと。
淡路焼の陶器。天保5年(1834年)に賀集珉平(かしゅう・みんぺい)が京焼の尾形周平から伝授を受けて始めたので、「珉平焼」という。賀集珉平は徳島藩の御用陶器師となり、藩窯も設置された。彼の死後、その窯は淡陶社(現「ダントー株式会社」・・・現在はタイルの専門製造会社)に引き継がれた。
賀集山護国寺。南淡町にある古刹。
主要な目的。
けわしさ。
数倍する。「倍」とは二倍、「蓗」とは五倍のこと。
黃景仁(1749-1783)は、字を仲則、号を鹿菲子という。清国の詩人。江蘇省武進県の人。代表作は「観潮行」。なお、原本では「黃景」となっているが、明らかな脱字なので訂正した。
黃景仁の代表作である七言古詩。前・後の二篇がある。近藤光男著『清詩選』(集英社・漢詩選14)に前篇のほうが入っている(同書318ページ)。
証拠として検証すること。
ひそかな約束。
詩人。風雅な人。
金持ちの子弟で苦労したことがなく、人生の機微に疎い者。「紈袴子弟」「紈褲子」とも。
俗悪で風趣を損なうこと。
お互いに目を見合うだけで、お互いの志のほどが分かるので、言葉で説明する必要がないこと。荘子の田子方篇の語。
2003年4月29日公開。