日本漢文の世界

 

赤目四十八滝(観瀑図誌)



2.『観瀑図誌』について

『観瀑図誌』は江戸時代末期の漢学者・鎌田梁洲が故郷・名張の奇勝、赤目四十八滝を宣伝することを目的に書いたものです。

 作者・鎌田梁洲についてはこちら → 鎌田梁洲

 鎌田梁洲は津藩の支藩である名張藩の儒者ですが、津の本藩には名紀行文『月瀬記勝』で有名な斎藤拙堂や『資治通鑑』津版の編集で有名な土井聱牙(ごうが)がいました。当時の文壇は斎藤拙堂らの活躍により、空前の名勝ブームであり、作者・梁洲先生もそのブームに乗っかって名を挙げようとの希望を持っていたことは間違いありません。その意気込みの表われか、『観瀑図誌』の緻密な風景描写は、通常の漢文の枠を越えた難字を駆使した、衒学的なものに仕上がっています。その推敲には、多大の精力を注入したことが伺われます。その証拠というべき貴重な草稿があります。
 それは、昭和初期に名張市の漢学者・浅野儀史氏(号は松洞)が発見した『赤目瀑前記』『赤目瀑後記』の梁洲自筆稿本であり、当時浅野氏が自ら主催していた「梁洲会」の会誌『梁洲会誌』四(昭和13年)および五(昭和14年)に発表されました。これらの草稿は浅野氏も指摘しておりますが、後に出版された『観瀑図誌』とはまるで別の作品のようで、素朴な味わいが残っているのです。※

※『梁洲会誌』は名張市立図書館に第一輯(昭和10年)~第六輯(昭和15年)の6冊が保存されています。

 私の『観瀑図誌』との出会いは、数年前に大阪の某古書肆で名張青年会議所が作成した複製本を見つけたことに始まります。
 この複製本は愛知県名張市の旧家に保存されていた版木を使って伝統的な木版印刷の技法で刷られたものです。江戸時代の版木が今も残っていることも驚きですが、それらがいささかの破損も磨耗もなく、いまなお鮮明な印刷が可能であったことにも感心します。ゆかりの人たちが本書をいかに誇りに思い、版木を大切にしてきたか、その気持ちが伝わってきます。
 もうひとつこの複製本で貴重なのは、地元の研究家・豊永徳之助氏による訳文と注解が別冊に収められていたことです。本書の解釈を進める上で、この訳文と注解にずいぶん助けられました。豊永氏の訳文は漢文訓読調を基調としたもので、難読字は「かな」にするなど、読み易さに配慮されており、滝の写真も付けられておりましたので、予習の補助教材として最適でした。
 このような先人の業績を参照できたことは、たいへんな幸運であったと思います。


2009年3月28日公開。

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