日本漢文の世界

 

中江藤樹の講堂跡・藤樹書院訪問



31.藤樹書院(9) 藤樹の木像と遺服の展示

書院の落間
書院の落間

書院の落間
書院の落間
書院の落間

 「藤樹先生補伝」の藤樹書院平面図では、祭壇の右側の部屋を「落間(おちま)」と名付けています。「落間」というのは、他の部屋よりも床が低くなっている部屋です。この部屋には藤樹の木像と、藤樹が着ていたという衣服が展示されています。

藤樹の木像
藤樹の木像
S氏撮影

 藤樹の等身大の木像はそれほど古いものではなく、もともとは大正11年(1922年)に大阪市の森下博という人物が寄附して、近くの玉林寺(墓のある場所)に安置されていたものです。玉林寺が火災にあってもとの像は焼失したため、昭和4年(1928年)に再製されたのが今ある木像です。(「藤樹先生補伝」:『藤樹先生全集』第5冊200ページ)

衣服の展示
衣服の展示
衣服の展示
衣服の展示
衣服の展示

 藤樹の遺服の一部は記念館にも展示されていました。(→19.中江藤樹記念館(14) 藤樹の衣服)「藤樹先生補伝」(『藤樹先生全集』第5巻77~78ページ)には11点の遺服があると記されています。
 私たちが見学したとき、これらの遺服は無造作に箱に入れて展示されていました。さすがに400年の歳月を経て、痛みが激しく、襤褸(ぼろ)のようになっているように見えます。

落間の扁額
落間の書

愛敬
愛敬

致良知
致良知(河田迪斎の賛文あり)
S氏撮影

五事を正す
五事を正す
S氏撮影

 落間には、「愛敬」「致良知」「五事を正す」の三つの書が掲げてあります。「致良知」は、藤樹の有名な筆跡(12.中江藤樹記念館(7)致良知・孝経写本)の横に河田迪斎(かわだ・てきさい、1806-1859)の賛文が書かれ、拓本になっています。もとの碑がどこかにあるのでしょうか。これらの額については、由来の説明がないため、どのようなものか分かりませんでした。



2024年12月7日公開。

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