日本漢文の世界


送森林太遊學伯林序解説

 森鴎外が依田学海に漢文の添削をしてもらったことがあるのは、広く知られた事実です。
 鴎外の小説『ヰタ・セクスアリス』の中で、主人公(=鴎外)が、15歳の夏休みに漢作文の指導をお願いする「文淵先生」という人が登場しますが、この人のモデルが学海先生なのです。
 鴎外は持ち前の天才を発揮して飛び級を重ね、17歳で大学を卒業したほどの才子でしたから、学海先生も目をかけていたようで、明治15年の正月に、鴎外が先生を訪ねたとき、先生は日記(『学海日録』)に「余が墨水にありしとき、その父静男の治療を受けたりし縁をもて、文章など刪潤せし事ありき。質実にして飾らず、心を本業につくす。末たのもしき若もの也。」と記しています。
 鴎外は大学卒業後、陸軍に入り、陸軍からドイツへ留学生として派遣されることになります。
 鴎外は出発の挨拶に学海先生宅を訪れ、学海先生はこの文章を作って壮行しました。学海先生の日記によればその日は明治17年8月9日。鴎外の洋行は8月23日に迫っていました。
 この『送森林太遊學伯林序』は、学海先生の弟子・鴎外に対する気持ちがよく現れた作品なのですが、漢文であるために、あまり省みられていなかったようです。その原文を訓読・現代語訳とともに紹介することは、鴎外ファンの一人として責務であると感じた次第です。
 森鴎外は、横浜を出発してからベルリンに到着するまでの日記『航西日記』、ベルリンでプロイセン軍の医官として勤務していたときの日記『隊務日記』を漢文で書き、当時の雑誌に発表しています。有名な『独逸日記』も元は漢文で書かれ、『在徳記』と名づけられていたらしいのですが、これは後に鴎外自身が和文に直したものが死後に発表されました。元の漢文の『在徳記』はまだ発見されておりません。
 私事ですが、亡父が生前ドイツを訪れた際、鴎外の『独逸日記』を携行したようで、遺品の『鴎外選集』にはあちこちに鉛筆で印や線が書き込まれていました。ドイツから帰国した父が、『舞姫』にある「ウンテル、デン、リンデン」の「雲に聳ゆる楼閣」の実物を見物してきて、「意外に低い建物だった」などと語っていたことが懐かしく思い出されます。

2008年8月9日公開。