日本漢文の世界


太田南畝語釈

森林太(もりりんた)

森鴎外のこと。鴎外は名を林太郎というが、日本漢文では「○太郎」という名前を「○太」と短く表現しているものをよく見かける。三文字の名前は、漢文では名前らしく見えないからであろう。

伯林(ベルリン)

ドイツの首都ベルリン。

遊學(いうがく)

留学のこと。

既亂(きらん)

騒乱(暴動)が始まってしまった状態。騒乱が始まってから平定するのは良い政治ではない。騒乱が起こらないようにするのが良い政治である。

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勝つこと。ここでは暴動を平定すること。

良相(りやうしやう)

有能な宰相。

既病(きびやう)

病気になってしまった状態。これに対し、まだ病状が出ていない段階を「未病」という。

良醫(りやうい)

名医。

(みち)

政道。

(つまび)らかにす

細かい点までしっかりと把握すること。

(じゆつ)

医術。

衛生(ゑいせい)(がく)

衛生学(hygiene)。疾病予防・健康増進などを研究し、実地適用する医学の一分野。鴎外は、明治17年(1884年)にドイツ留学を命じられ、ホフマン、ペッテンコーファー、コッホら碩学について衛生学を学んだ。

森生(もりせい)

森君。「生」は後輩を親しみをこめて呼ぶのに使う。「後生」(後輩)の義。

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医学のこと。

大學(だいがく)

大学といえば東京大学しかない時代である。鴎外は、明治10年(1877年)開設されたばかりの東京大学医学部本科に入学し、明治14年(1881年)に卒業した。その後陸軍軍医となった。

登科(とうくわ)出身(しゆつしん)

「登科」とはもともとは「科挙」の試験に及第すること。そして「出身」とは官職に就くこと。ようするに、官の試験に合格して任官したということ。

(のぼ)

階級が上がること。

(かう)

「講学」とは学問研究の意。講義したわけではない。

德國(とくこく)

ドイツのこと。ドイツのことを中国では「徳国」と称するので、漢文でも多くの場合「徳国」と書く。「独逸」と書くのは日本独自の当て字。鴎外はドイツ滞在中に『独逸日記』を書いているが、これも原題は『在徳記』と称し、漢文で書かれていたといわれている。鴎外が小倉時代に青年期の『在徳記』を和文に書き直し、『独逸日記』と解題したものが、死後に発表された。

差遣(さけん)

派遣すること。とくに官吏を出張させることをいう。

(せい)

鴎外のこと。

腐氣(ふき)

くさった臭い。腐臭。

四肢(しし)

両手両足のことだが、ここでは全身の意。

氣血(きけつ)

中国医学では、人体を「気」(気息)と「血」(血液)が循環して生命が維持されているとしている。「気血」は「血気」ともいう。

(かん)

簡単、簡略であること。

市井(しせい)閭巷(りよかう)

「市井」とは町、「閭巷」とは村のこと。

細民(さいみん)

身分の賎しい人人。

賤業(せんげふ)

賎しい職業。「細民」に対応する。

饑寒(きかん)

飢えと寒さ。

(やまひ)(へい)なり

危篤状態になること。

(わずらひ)

病気。

預防(よばう)

わが国では「予防」とも書く。事前に防止すること。

軍旅(ぐんりよ)

軍隊のこと。

鋒鏑(ほうてき)

刀と矢。

白刃(はくじん)

鋭利な刀。

瘴毒(しやうどく)

「毒瘴」とも。猛暑などで生ずる毒を含む湿気。毒気。

炎熱(えんねつ)

焼けるような酷暑。

(なう)(くだ)

本来は頭部が潰れるということだが、ここでは熱病などで頭脳が麻痺すること。

陣營(ぢんえい)

軍隊が陣地を敷いている場所。

祁寒(きかん)

きびしい寒さ。

(へい)

武器のこと。「兵を接する」とは、交戦すること。 

(りやう)(へい)()

「良」とは張良、「平」とは陳平のことで、二人とも漢の高祖(劉邦)に知恵をもって仕えた臣下。「その二人ほどの智恵があったとしても」という意味。

(ふん)(いく)(ゆう)

勇気があり、死を恐れない人。

奮勇(ふんゆう)敢死(かんし)

自己を謙遜していう語。 

駢首(へんしゆ)して()()

「駢首」とは多くの馬が首を揃えて並んでいること。それにたとえられるような状態で、多くの人が皆殺しにされること。「駢首就死」はみじかく「駢死」とも言う。

上杉輝虎(うへすぎてるとら)

戦国時代の武将、上杉謙信(1530~78)のこと。謙信が川中島で武田信玄と戦ったほか、北条氏康とも戦い、氏康を小田原まで追い詰めている。

季冬(きとう)

陰暦十二月。現在の太陽暦では一月にあたり、もっとも寒い時期。

寒威(かんゐ)

はげしい寒さ。

凜冽(りんれつ)

寒さの厳しい形容。「骨まで凍るような」。

薩埵嶺(さつた・たうげ)

静岡県由比町にある。歌川(安藤)広重の『東海道五拾三次』の絵とほとんど変わらぬ景色が見られるので有名な場所。また、東の箱根峠、西の鈴鹿峠とともに東海道の三大難所としても知られる。「峠」という字は国字で漢文には使えないため、「嶺」の字を当てた。

兵法(へいはふ)

ここでは『孫子』のこと。

百戦(ひやくせん)百勝(ひやくしよう)は云云

『孫子』謀攻第三にあることば。「百戦百勝」とは、戦えば必ず勝つということ。しかし、戦えば必ず勝つことは最善の用兵とはいえない。戦わずに勝つ(相手を屈服させる)ことこそが最善である。原文は次のとおり。「是故、百戦百勝非善之善者也。不戦而屈人之兵、乃善之善者也」(このゆえに、百戦百勝は善の善たるものにあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、すなわち善の善たるものなり。)学海は文章を少し変えて引用している。

()(こと)にす

事情が違うということ。

便(べん)

都合がよいこと。「ビン」と読んでもよい。

()

上の「便」とセットで「便宜」となる。ここでは「便宜」、都合がよい意。

酙酌(しんしやく)

通常は「斟酌」と表記する。事情を考慮して取捨選択すること。

融會(ゆうくわい)

いろいろな知識を融合させること。

有識(いうしき)()

見識のある人。

2008年8月9日公開。