鹽谷 宕陰
世子家光、嘗て屋上の乳雀を見、近臣に命じて往いて之を捕へしむ。屋は大將軍の燕室に係る。衆敢て往くもの莫し。乃ち信綱を推して曰く、「汝年幼にして體輕し。宜しく往くべし。」と。信綱勉強して命に應ずる也。夜潛かに屋に縁りて之を索め、足を失ひて中庭に墮ち、謋然として聲有り。大將軍刀を提げ、夫人燭を執りて出で、信綱を見て之を詰る。對へて曰く、「臣雀兒を觀て、心に之を欲し、竊に來り捕ふる也。」と。大將軍曰く、「否。是れ必ず主使する者有らん。」と。窮詰すること再四なるも、而も告げず。大將軍怒り、信綱を巨嚢中に内れて其の口を緘ぢ、之を柱に懸けて曰く、「汝實を首せば、即ち去るを許さん。」と。信綱嚢中より之を爭ひ、旦に徹せり。
旦日、大將軍出でて朝を視る。夫人之を憫みて、私に嚢口を胠き、餕を以て之に啗はしめ、復口を緘づること初の如し。日中大將軍入り、復之を詰れども、終に辭を改めず。夫人固く請ひて之を縱さしむ。大將軍目送し、夫人に謂ひて曰く、「孺子能く此の如くんば、後必ず吾が兒を羽翼せん。」と。
2001年10月21日公開。