木下 犀潭
鎌倉は江戸と距たること十三里。一日を以て往反するは、良馬に非ずんば能はざる也。而して歩は最も難しと爲す。一日大城十餘騎を出し、馬を鶴岡に秣ひて歸る。是れより鎌倉の道上汗馬多し。
此の日余江戸を發し、六郷の渡に臨む。乍ち喝道の聲を聞く。三士人有り。急に道を取りて來る。其の一は尚ほ童髪なり。傔從四五名繼いで至る。之を驛吏に問へば、則ち幕府の士人歩を鎌倉に試みる也。是れ微事耳。然れども亦以て振起の一斑を見るに足る也。
往年鹽賊の大阪を劫焼するや、天下一旦警を思ひ、士人の行役する者は、筐中必ず戎具を齎し、行糧を備へ、坊閒の器械、頓に其の價を增すに至れり。未だ一二年ならずして、其の風復衰へたり。諺に云く、「喉を過ぎて熱を忘る」と。平世の常情也。而して今復此の如し。天下の事は、唯健徳の已まざるを仰ぐ而已。是れ四月十九日と爲す。
2002年1月14日公開。