日本漢文の世界


健歩解説

 江戸から鎌倉まで歩くのは、なかなかたいへんなことです。この文では、幕府が士風振興のために奨励していたウォーキングのようすを、好意的に書いています。
 天保大飢饉による各地の農民一揆や、大阪での大塩平八郎の乱により、一時騒然としていた世間も、乱後わずか一・二年ほどで、一時の危機感はうすれ、「喉もとすぎれば、熱さ忘れる」とて、もとの怠惰にもどろうとしていました。そのような世情を憂えていた犀潭先生には、幕府士人の鍛錬が頼もしく見えたにちがいありません。
 しかし、まもなく極端な締め付けで悪名高い「天保改革」が始まろうとしていました。そして、黒船、安政の大獄、幕府崩壊、明治維新へと時代は急速な展開をしていきます。その前夜、犀潭先生は、やがて来る動乱をはたして予感されていたでしょうか。

2002年1月14日公開。