日本漢文の世界

 

頼山陽の故居・山紫水明処訪問



1.山紫水明処について

頼山陽書斎「山紫水明処」鴨川公園側から撮影
「山紫水明処」を鴨川公園側から撮影

 平成19年(2007年)11月24日(土曜日)、京都市中京区にある「山紫水明処」を、訪問してきました。

 ここには、頼山陽先生の旧宅・水西荘の離れ「山紫水明処」と庭の一部が、「国定史跡」として保存されているのです。

頼山陽『日本外史』写本
日本外史(写本)

 頼山陽は『日本外史』の著者として有名です。私は以前『日本外史』を通読して非常に感激したことがありますが、最近改めて少しずつ『外史』を読み直しては、その文章のすばらしさに感動を新たにしております。

 頼山陽書斎「山紫水明処」

 「頼山陽の家に言ってきたよ」と言っても、私のまわりの人たちからは「誰それ?」という反応が多いです。しかし、この秋に見延典子(みのべ・のりこ)氏の伝記小説『頼山陽』(徳間書店、上下二巻)が刊行されて評判になり、世間でも山陽先生に対する関心が高まってきたようです。
 
山陽先生の略伝は、こちら→『頼山陽
 
 山陽先生は、31歳で広島県神辺にある菅茶山先生の廉塾を後にして京都へ出てきてから、市内で6回も転宅し、最後に見つけた永住の地が三本木通(さんぼんぎ・どおり)の水西荘(すいせいそう)でした。



2007年12月30日公開。

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