【翁問答の無断出版問題】
藤樹は『翁問答』を書き上げたものの、陽明学に出会って思想が深化してくると、書き上げた内容では飽き足らなくなり、改稿を企だてました。仏教への誹謗もさすがにやり過ぎだったと考えたようです。(『翁問答改正篇』序)
藤樹は「日本陽明学の祖」とされていますが、実は『翁問答』を含む彼の主要著作には陽明学的な要素はほとんどありません。彼が『陽明全書』を得たのは正保元年(1644年)37歳の時であり、その4年後の慶安元年(1648年)に彼は41歳で亡くなっているので、主要著作に陽明学を取り入れることができなかったのです。
かくて藤樹は『翁問答』の改稿に取りかかりましたが、改稿前の写本が京都の出版社の手に渡り、無断出版されそうになるという事件が起きました。正保4年(1647年)、藤樹は事前にそれを知り、無断出版を差し止めて、版木を焼却させました。その出版社は、それでは大損だと泣きついてきたため、藤樹は代わりに『鑑草(かがみぐさ)』の原稿を与えて上梓させました。不正業者に情けをかけるいわれはありませんが、藤樹にも『鑑草』を早々に出版したい意向があったのかもしれません。
その翌年、慶安元年(1648年)に藤樹は41歳で亡くなります。
藤樹の死後、またしても無断出版で、藤樹の施した改稿が全く反映されていない『翁問答』が出版されました(慶安2年本)。門人たちはこれを正すため、「改正」と冠した版を新たに作って上梓しました(慶安3年本)。当時の出版界は、商業出版の草創期ということもありますが、著作権などは平気で無視する、ひどいものだったようです。
翁問答(藤樹先生全集 第3冊)
国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子:info:ndljp/pid/1226430
『藤樹先生全集』第3冊57ページ以下では、この慶安2年本と慶安3年本を上下に排列して比較できるようにしてあり、藤樹による『翁問答』改訂の内容を詳しく知ることができます。(良知館でも『藤樹先生全集』の『翁問答』の部分の抜き刷りを購入できます。)
『翁問答』は江戸時代を通じていろいろな版で出版されていたのですが、これを読んで影響を受けた碩学もいました。井上哲次郎の『日本陽明学派の哲学』には、新井白石が17歳のときに『翁問答』を読んで感激し、「初めて聖人の道というものある事をば知りけれ」(折たく柴の記)と書いていることが紹介されていますが、そのほかにも太宰春台、三輪執斎、川田雄琴、佐藤一斎、大塩中斎等が藤樹の影響を受けたと記しています(同書21-22ページ)
2024年12月7日公開。