記念館展示 大学考・大学蒙註・大学解
【大学考・大学蒙註・大学解】
ここからは、藤樹の著作物について、記念館の展示をもとに見ていきます。
『藤樹先生年譜』によると、藤樹の『大学』に関する著述は『大学啓蒙』が最初のもので、寛永5年(1628年)21歳のときの著作です。ただ、あとで内容が正確ではないと考えて、破り捨てています。そのため今では断片しか残っていません。(『藤樹先生全集』第1冊253ページ)
『大学考』は、漢文のもの(『藤樹先生全集』第1冊607ページ以下)と和文のもの(『藤樹先生全集』第2冊9ページ以下)があります。漢文のものは若いときの著作で、和文のものは晩年の著作です。内容は『大学』という本の成り立ちについての解説です。
『大学蒙註』(『藤樹先生全集』第2冊10ページ以下)は和文の著作ですが、『大学』の最初の一句の解釈の部分だけしかなく、未完に終わっています。
『大学解』(『藤樹先生全集』第2冊15ページ以下)は和文の著作で、晩年のものとされています。内容は『大学』の一文ごとの国字解(日本語による解釈)ですが、これも未完に終わっています。
記念館展示 論語郷党啓蒙翼伝
【論語郷党啓蒙翼伝】
寛永16年(1639年)の秋、32歳のときに、藤樹は『論語』の講義を行いました。そのとき『論語』の第10巻「郷党」篇を読んで大いに感得するところがあり、『論語』の注釈書を作ることを思い立ちました。そこでまず第10巻「郷党」篇の注釈を作り、次の第11巻「先進」篇の2、3章分を作成したところで、病苦のため中断を余儀なくされました(『藤樹先生年譜』)。これが本書であり、全編が漢文で書かれています。
『論語』の「郷党」篇は、孔子の日常生活における言動についての記録したものです。「聖人」の日常における振る舞いは、弟子にとって規範となるものです。そうした実践的道徳を藤樹は求めていたのです。
2024年12月7日公開。