日本漢文へのいざない

 

第一部 日本文化と漢字・漢文

第五章 読解のための漢文法入門

第4節 特殊な短語




(8)所字短語4 ネクサスとしての所字短語2

 所字短語が主謂短語(ネクサス)となる場合「所」字の前に置かれる動作の主体の表示は、「之」字を用いて「之字短語」の形になることも多いので、例を挙げておきます。

【例句1】

時非聖人之所能為也。(蘇軾『論封建』)

(訓読)(とき)聖人(せいじん)()(つく)(ところ)(あら)ざる(なり)

(現代語訳)「時」は、聖人が作ることのできるものではない。

所能為
作り得る対象

主語を追加

聖人之→所能為
聖人の作り得る対象

 この句では、所字短語が謂語になっています。

主語(主部)謂語(述部)=定中短語
[定語]謂詞=主謂短語(所字短語&之字単語)
主詞之字謂詞(所字短語)
[非]聖人所能為。

 否定には決断副詞「非」が使われていることに注目してください。通常、所字短語は「無」で否定されますが、ネクサスの所字短語は「非」で否定されるのです。「非」は体言を否定する決断副詞であり、用言を否定する否定副詞「不」はここでは使えません。「非」を使っているのは、ネクサスの「所字短語」がネクサス名詞を構成するためと考えられます。(ネクサス名詞については3節(5)をご覧ください。)

 これに対し、ネクサスではない通常の所字短語は「非」ではなく「無」で否定さます。おさらいとして一例をあげておきます。

【例句2】

雖有賁・育、無所復施。(蘇軾『留公論』)

(訓読)(ふん)(いく)()りと(いえど)も、()(ほどこ)(ところ)()からん。

(現代語訳)孟賁(もう・ふん)・夏育(か・いく)のような勇者でも、手の施しようがないだろう。

所→復施。
手を施す対象。

 「復」は「また」と訓読しますが、ここでは語気の上で付加されただけのものです。つまり「施」一字ではリズムが悪いので二字にするために「復」が追加されただけのことで、「復」には「また」「ふたたび」という強い意味はありません。ここでは「復施」の二字で「手を施す」意味だと考えてください。

無 所復施。
手を施す対象 が無い。

 ↓

主語(主部)=述賓短語謂語(述部)=述賓短語
<連詞>謂詞賓語謂詞賓語=所字短語
<雖>賁・育、所復施。



2007年11月11日公開。

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