日本漢文の世界

 

頼山陽の故居・山紫水明処訪問



8.山紫水明処の庭(2)

 山紫水明処は、東は鴨川、西は庭で、山陽先生はその理想的な景観を誇って「我関白也」と言っておられたそうです。先生没後に「降り井」が作られるなど、先生の在世当時とは庭の様子も異なっていますが、幾分は昔をしのぶことができるはずです。

頼山陽書斎「山紫水明処」庭の石畳
現在の入り口(中門)から小屋までの石畳。

 現在は西側の中門から、山紫水明処の庭へ入り、小屋まで石畳の上を歩むようになっています。

頼山陽書斎「山紫水明処」庭(全景)
入り口(中門)から庭全体を見たところ。

 石畳の上を歩いてゆくと、左側に「降り井」が現れるという趣向になっているのです。(「降り井」の写真は前ページ)

頼山陽書斎「山紫水明処」の庭(窓より)
小屋の窓から庭を見る。降り井の石組みが見えています。

 小屋の窓からも、降り井の石組みが見えます。なかなか面白い趣向です。



2007年12月30日公開。

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