安曇川駅前 藤樹銅像位置図(赤枠部分)
安曇川駅
JR安曇川駅で降りると、駅前に広場があり、広場の中央に中江藤樹の銅像があります。偉人を輩出した田舎町でよく見る光景です。
藤樹の銅像
藤樹には有名な肖像画があります。弟子の淵岡山(ふち・こうざん、1617-1687)が画家に委嘱して描かせたもので、真に迫るものだと言われています。気品に満ち、知性にあふれ、強い意志を感じさせる容貌は、「近江聖人」と称される人にふさわしいものだと思います。後世に作られた藤樹像は、彫刻にしろ絵画にしろ、すべてこの肖像画に基づいているのです。
藤樹の肖像画
高島市教育委員会発行の小学校副読本『藤樹先生』の口絵より
さて、駅からコミュニティバス(船木線)に乗れば、中江藤樹記念館へは約20分、藤樹書院へは約30分で行くことができます。しかし、たいした距離でもありませんので、私は歩くことをお勧めします。
駅から藤樹書院へ向かう通りは「よえもんさん通り」と名付けられています。「よえもん(与右衛門)」は藤樹の通称名です。
よえもんさん通り
江戸時代の武士は、諱(いみな)、字(あざな)、通称名の3つの名前を持っていました。中江藤樹は諱(いみな=本名)を原(げん)といい、字(あざな=元服したときに付けられる名)を惟命(これなが)、通称名(ふだん家族などが呼ぶときの名)を与右衛門(よえもん)といいました。
雅号は「嘿軒(もくけん)」(『藤樹先生年譜』寛永18年34歳)と称しました。別に「顧軒(こけん)」の号があります。なお、『先哲叢談』には藤樹の雅号を「頥軒(いけん)」としていますが、これは「顧軒」と草書が似ていることから誤り伝えられたとの説があります(「藤樹先生補伝」:『藤樹先生全集』第5冊143ページ)。
「藤樹」は雅号ではなく、屋敷にあった藤の木にちなみ、地元の人々が彼のことを「藤樹先生」と呼んだために付いた名で、屋号のようなものでした。
藤樹先生のことば
同行のS氏撮影
「よえもんさん通り」には、ところどころに「藤樹先生のことば」という看板があり、藤樹の著書からの短い引用句と解説が書かれています。
2024年12月7日公開。