藤樹書院
令和5年(2023年)1月19日(木)、私はS氏と二人で滋賀県高島市にある中江藤樹記念館と藤樹書院を訪問しました。
中江藤樹(なかえ・とうじゅ)は、江戸時代初期に近江国小川村(現在の滋賀県安曇川町)の小さなコミュニティで母親と質素に暮らしながら、地元の人々に道徳を教えていた人です。
藤樹は41歳(数え年)の若さで急死しており、その直後に一家も高弟たちも離散し、彼の学問は途絶えてしまいました。しかし、それにもかかわらず藤樹は「近江聖人(おうみせいじん)」と呼ばれて今も尊敬を集めています。これはいったいなぜでしょうか。
令和4年(2022年)の秋に、京都で少人数で続けている日本漢文の勉強会で塩谷宕陰(しおのや・とういん)の『中江藤樹伝』を読みました。明治期の旧制中学校の漢文教科書に掲載されていたものです。この文章は、藤樹のことを感動的に描いていますが、実は宕陰は橘南谿(たちばな・なんけい)の『東西遊記』などから巧みに引用して文章を構成したものです。
いつもなら教材を読んでそれで終わりになるのですが、そのときだけはなぜか藤樹という人物が気になって、もう少し藤樹のことを知りたいと思いました。そしていろいろ調べてみると、滋賀県高島市に藤樹書院(ただし再建)が現存しており、中江藤樹記念館や「藤樹の里あどがわ」という藤樹の名を冠した道の駅があることがわかりました。
藤樹は「近江聖人」と呼ばれている人で、ただの漢学者ではありませんが、江戸時代の漢学者の遺跡や記念館は全国的にも珍しいものです。京都から1時間で行けるところに遺跡や記念館があるなら、ぜひ行ってみようということになり、勉強会仲間のS氏が同行してくれることになりました。かくて私たちはJR湖西線で京都から高島市の安曇川へと向かったのでした。
2024年12月7日公開。