しかし、大事なのは、漢文の性質から出てくる無主句です。次の【例句1】の(2)を見てください。
【例句1】
(1)方山子、光・黄間隠人也。(2)少時慕朱家郭解為人。(蘇軾『方山子伝』)
(訓読)(1) 方山子は、光・黄間の隠人也。(2) 少時、朱家・郭解の人と為りを慕う。
(現代語訳)(1)方山子は光州・黄州一帯の隠士である。(2) 方山子はわかい時、朱家および郭解という二人の侠客のひとがらを慕っていた。
【例句1】では、 (2)の「少時慕朱家郭解為人」は無主句です。これは、その前の(1)の句「方山子、光・黄間隠人也」の主語がそのまま主語として継続しているとみなされるため、主語のない形がスタンダードなのです。(主語があるべきところを省略したわけではなく、主語がない形がスタンダードだということです。)
謂語(述部) | |
---|---|
[状語] 謂詞 | 賓語 |
[少時] 慕 | 朱家郭解為人。 |
(無主句・第2句式)
もちろん新しい主語が現れるところまでが、一つの主語が統括する句であると考えることもできます。しかし、そう考えると、一つの句が異常に長くなってしまいますので、実際的ではありません。
実例として蘇軾の『方山子伝』の冒頭の部分を引用してみます。「主語」が明示されているのは、下線の部分だけです。この長い文章に、たったの三箇所しかありません。(訓読は煩雑になるため省略します。参考に現代語訳のみを掲げます)
【実例】
(1)方山子、光・黄間隠人也。(2)少時慕朱家・郭解為人。(3)閭里之侠皆宗之。(4)稍壮、折節読書。(5)欲以此馳騁当世。(6)然終不遇。(7)晚乃遯於光・黄間曰岐亭。(8)庵居蔬食。(9)不与世相聞。(10)棄車馬。(11)毀冠服。(12)徒歩往来山中。(13)人莫識也。(14)見其所著帽、方屋而高。(15)曰、此豈古方山冠之遺像乎。(16)因謂之方山子。
(現代語訳=参考。現代語訳では、主語をすべて明示。)
(1)方山子は光州・黄州一帯の隠士である。(2) 方山子はわかい時、朱家および郭解という二人の侠客のひとがらを慕っていた。(3)閭里之侠(郷里の義侠の徒)は皆かれを崇拝した。(4)方山子は壮年になってから、いままでの行いを改めて読書勉学した。(5) 方山子は、学問によって、当時の社会に自己の抱負を実現させようとしたのだ。(6)しかし、方山子は、結局重要な職に就くことはできなかった。(7) 方山子は晚年には、光州と黄州の間にある岐亭というところに隠棲した。(8) 方山子は草庵に住み、粗食に甘んじた。(9) 方山子は世間の人とは交際しなかった。(10) 方山子は馬車や馬も処分した。(11) 方山子は冠や衣服も破り棄てた。(12) 方山子は、徒歩で山の中を行ったりきたりした。(13)人人はだれも彼のことを知らなかった。(14)人人は彼のかぶっている帽子が方形で背の高いのを見た。(15)人人は、「これは古代の方山冠という古い形式の帽子じゃないか」といった。(16)そこで、人人は彼のことを「方山子」と呼んだ。
この文の中で主語が示されているのは、わずか三箇所しかなく、最初の(1)が主人公の「方山子」、次が(3)の「閭里之侠」(郷里の義侠の徒)、第三が(13)「人」です。(ここでは「人」は「people」の意味です。)
主語が変わるところまでは、前の主語が継続しているとみなされて、無主句が続きます。(3)では、「閭里之侠」という別の主語が出てきたにも関わらず、(4)以下ではまた「方山子」の話になっています。これは、(3)は(2)の「少時」(わかいとき)の話の続きにすぎず、(4)では「稍壮(やや、壮にして)」(壮年以後・・)となって「方山子」の壮年以後の話になっているから、(4)以下でも「方山子」の話が続いていることは、文脈で分かるのです。
さて、(13)で新しい主語「人」(people)が現れますが、そこから先は「方山子」の世間での評判を説いた部分だから、そのあと(16)まで、主語「人」が継続していることが、これも文脈から分かります。ですから、「人」は(13)で最初の一回だけ示さるだけで十分なのです。
これを、無理やり「主語の省略」とか、「一つの主語が支配する長いセンテンス」だと考える必要はありません。すなおに「無主句」であると考えればよいのです。
上の『方山子伝』の無主句は、次のように分類できます。無主句の場合でも、賓語がないものを第1句式、賓語が一つであるものを第2句式、賓語が二つであるものを第3句式と分類します。
無主句・第1句式 (6) (8) (9)
無主句・第2句式 (2) (4) (5) (7) (10) (11) (12) (14) (15)
無主句・第3句式 (16)
無主句の第2句式(賓語が1つ)となるものとしては、上の例のほかに、存現句(existential sentences)があります。これは別名「有無句」といい、動詞「有」「無」とその賓語からなる句で、ものの有無を表します。英語では「there is ~」構文に相当します。
存現句が無主句になるのは、漢文に限らず、世界の諸国語によく見られる現象であるようです。(イェスペルセン『文法の原理(The Philosophy of Grammar)』155ページ、岩波文庫版では中巻72ページを参照。)
【例句2】
有尊客。(蘇軾『志林』)
(訓読)尊客有り。
(現代語訳)高貴なお客が来た。
謂語(述部) | |
---|---|
謂詞 | 賓語 |
有 | 尊客。 |
(無主句・第2句式)
次は、無主句・第3句式です。『方山子伝』の(16)を見てください。
【例句3】
因謂之方山子。
(訓読)因って之を方山子と謂う。
(現代語訳)そこで、人人は彼のことを「方山子」と呼んだ。
謂語(述部) | ||
---|---|---|
[状語]謂詞 | 賓語 | 賓語 |
[因] 謂 | 之 | 方山子。 |
(無主句・第3句式)
無主句・第3句式の例句をもう一つ出しておきます。蘇軾の『日喩』から。
【例句4】
(1)眇者不知其異。(2)以其未嘗見而求之人也。
(訓読)(1)眇者は其の異なるを知らず。(2)其の未だ嘗て見ざるを以てして之を人に求むる也。
(現代語訳)(1)目の見えない人は、その違いが分からない。(2)いままで一度も見たことがないものだから、人に聞いたわけだ。
上の例句では、(1)の句には「眇者」(この文では、目の見えない人という意味)という主語がありますが、その後に続く(2)の句には無主句・第2句式です。
謂語(述部) | ||
---|---|---|
[状語]謂詞 | 賓語 | 賓語 |
[以其未嘗見而] 求 | 之 | 人(也)。 |
(無主句・第3句式)
※句末の「也」は、いわゆる句末助詞で、ことばの調子を整えるものです。 賓語「人」と区別するため( )でくくりました。
以上見ていただだいたごとく、漢文では分かりきった主語は書きません。これは、本来書かなければならない主語を省略したわけではなく、書かないことがスタンダードなのです。
英語では、 he / she / theyなどの三人称代名詞が主語として使われますが、漢文ではこれに相当する三人称代名詞「彼」(かれ)は、めったに使用されません。その代わりに無主句が使われるのです。
2007年7月16日公開。