前項の露伴訳『水滸伝』を見られた方は、これをもって白話文の訓読は本当に「無理」だと決め付けたくなられたことと思います。
しかし、白話文の訓読訳には、一つだけ例外的な名訳があります。それは、平岡龍城(ひらおか・りゅうじょう)訳の『紅楼夢(こうろうむ)』(『国訳漢文大成』所収、大正10年)です。
どれほどすばらしい訳なのか。それを示すには、引用するのがいちばんです。少し長くなりますが、『紅楼夢』第三十二回から、私の好きな場面を引用します。
ヒロインの一人・林黛玉(りん・たいぎょく)は、主人公の宝玉(ほうぎょく)坊ちゃんとは相思相愛の仲ですが、旧家のしきたりや、ライバルが多すぎることなどから、自分達の将来を悲観しています。宝玉(ほうぎょく)と自分は、好きあっていても結ばれないのではないだろうか。たとい結ばれることができても、自分のような病身では添い遂げられぬのではなかろうか。将来を案じ、ひそかに涙をこぼす黛玉の気持ちを察し、宝玉はなんとか慰めようとします。
これも原文は飛ばして、訓読のほうだけ見ていただいて結構です。
(原文)
這裏宝玉忙忙的穿了衣服出来、忽抬頭見林黛玉在前面慢慢的走著、似有拭涙之状、便忙趕上来、笑道、「妹妹往那裏去、怎麼又哭了、又是誰得罪了你。」林黛玉回頭見是宝玉、便勉強笑道、「好好的、我何曽哭了。」宝玉笑道、「你瞧瞧、眼睛上的涙珠儿未乾、還撒謊呢。」一面説、一面禁不住抬起手来替他拭涙。林黛玉忙向後退了幾歩、説道、「你又要死了。作什麼這麼動手動脚的。」宝玉笑道、「説話忘了情、不覚的動了手、也就顧不的死活。」林黛玉道、「你死了倒不值什麼、只是丟下了甚麼金、又是甚麼麒麟、可怎麼様呢。」一句話又把宝玉説急了、趕上来問道、「你還説這話、到底是呪我還是気我呢。」林黛玉見問、方想起前日的事来、遂自悔自己又説造次了、忙笑道、「你別著急、我原説錯了。這有什麼的、筋都暴起来、急的一臉汗。」一面説、一面禁不住近前伸手替他拭面上的汗。宝玉瞅了半天、方説道「你放心」三個字。林黛玉聴了、怔了半天、方説道、「我有什麼不放心的。我不明白這話。你倒説説怎麼放心不放心。」宝玉嘆了一口気、問道、「你果不明白這話。難道我素日在你身上的心都用錯了。連你的意思若体貼不著、就難怪你天天為我生気了。」林黛玉道、「果然我不明白放心不放心的話。」宝玉点頭嘆道、「好妹妹、你別哄我。果然不明白這話、不但我素日之意白用了、且連你素日待我之意也都辜負了。你皆因総是不放心的原故、纔弄了一身病。但凡寛慰些、這病也不得一日重似一日。」林黛玉聴了這話、如轟雷掣電、細細思之、竟比自己肺腑中掏出来的還覚懇切、竟有万句言語、満心要説、只是半個字也不能吐、却怔怔的望著他。此時宝玉心中也有万句言詞、一時不知従那一句上説起、却也怔怔的望著黛玉。両個人怔了半天、林黛玉只咳了一声、両眼不覚滾下涙来、回身便要走。宝玉忙上前拉住、説道、「好妹妹、且略站住、我説一句話再走。」林黛玉一面拭涙、一面将手推開、説道、「有什麼可説的。你的話我早知道了。」口裏説著、却頭也不回竟去了。
(平岡龍城の訓読『国訳紅楼夢』より。現代表記で引用しています。また改行しています。)
這裏には宝玉は忙忙的衣服を穿了出て来ると、忽ち頭を抬げて林黛玉が丁度前面を慢慢的走著のを見たが、どうも拭涙る様子があるので、便忙趕上来て、笑いながら、
「妹妹那裏に往去なさる、して又怎麼で哭了ます、是誰か你に得罪でもしたのではありませんか。」
説われて林黛玉は回頭って見ると宝玉なので、勉強て笑をつくり、
「好好的、我何曽で哭了ましょう」、と道う。
宝玉は、「你瞧瞧、眼睛の上の涙珠儿は未だ乾ているではありませんか、撒謊てはいけません」と、説い一面、禁不住手を抬起来他の替に涙を拭いてやった。
林黛玉は忙く幾歩か後に退了、
「死を要ね。什麼で這麼に動手動脚。」
すると宝玉は笑いながら、
「説話に忘了情、覚わず手を動す様なことをして顧不的死活ました」、と謝りを道うた。
林黛玉は、
「你が死んでも倒て什麼も值ますまいが、只是甚麼か金とか、麒麟とか云う様な物を丟下了なら、それは怎麼様でしょう。」
この一句話は、又宝玉を急と説わせ、趕上来て、
「你が這話を説いなさるは、到底是は我を呪うのですか、還是は我を気のですか。」
林黛玉は又そう問われて、方に前日の事を想え起して、遂に自ら自己も造次なことを説うたと悔いて、忙く笑いながら、
「你もそう著急なさるな、それは我が説い錯了ましたのです、這に什麼的そう筋都暴起来、急的一臉汗おさわぎなさることも御座いますまい」、と説い一面、禁不住近前て手を伸し他の面上の汗を拭いてやった。
宝玉は半天瞅了て居たが、方て「你放心」との三個字を説道た。
林黛玉は聴いて、也半天怔了居て、
「それじゃ我に什麼か放心のできぬ的でもありますのですか。我は這話が明白ません。你は倒て怎麼を放心とか不放心とか説説なさるのですか。」
すると宝玉は一口気嘆息して、
「你が果して這話が明白ませぬ様では、難道我が素日你の身上的心て在たことは都な用錯了でした、你の意思でさえも体貼し著ぬ様では、我が天天你に生気たのは難怪な訳です。」
林黛玉は、
「果然我は放心とか不放心とか話は明白がゆきません。」
宝玉は点頭きながら嘆じて、
「好妹妹、你は別哄我。若し果然這の話が明白がゆきませぬ様では、但だ我の素日の意が白用になるばかりではありません、且つ你が素日我に待する意にも也都く辜負様なわけになります。それは你が皆総て不放心な原故、纔に你の一身の病を弄了ている様なわけでしょう。但だ凡そ寛慰些ば、這な病でも一日は一日似重くなると云うことは得りません。」
林黛玉は這の話を聴くと、宛も轟雷掣電様に感じ、細細之を思うと、竟に自己の肺腑中から掏り出して来たよりも、還お懇切な覚がして、竟に万句の言語を満心て説うと要みても、只是半個字も吐えず、却て怔怔的他を望著見て居た。
此時宝玉の心中にも也万句言詞があっても、一時那一句上から説い起したものか考えがつかず、却て也怔怔的黛玉を望著て、両個人は又半天怔了して居るばかりであった。
頃之すると林黛玉は只だ咳了一声して、覚えず其両眼から涙を滾下ながら、身を回して走うとした。
宝玉は忙ぎ上前いでて拉き住めて、
「好妹妹、且あ略と站住なさい、我の一句話を説いてから再走なさい」と説道た。
林黛玉は涙を拭き一面、手で推し開けて、
「什麼説様なことはありませんし、你的話は我早知道て居ます」と、口裏説著、頭也不回竟と去了った。
この訓読訳はまさに名人芸です。「様に」とか、「居た」など、日本語として最小限の言葉を書き加えている意外は、ほとんど原文の字をそのまま使って、口語訳風にしたてた手腕は、並大抵ではありません。今日読んでも林黛玉と宝玉の切ない思いが伝わってくるではありませんか。まさに千万人をして泣かしめる名訳です。
ご存知のとおり、『紅楼夢』は古い北京語で書かれていますが、中国語が分かる方なら、この訳がいかに正確であるか、お分かりになるはずです。
私はこれほどの名訳とは露知らず、たまたま古書店で見かけて購入したのです。しかし、読み進めるうちに、訳のあまりのすばらしさに驚き、これほどの名人が、かつておられたのかと、感動で胸が熱くなりました。
さて、『紅楼夢』現代語訳では、松枝茂夫(まつえだ・しげお)訳(岩波文庫)と伊藤漱平(いとう・そうへい)訳(平凡社ライブラリー)が双璧とされていますが、古い平岡訳は、訳の正確さにおいて、この二つの訳をしのぎます。本当かと疑われる方は、ぜひ比べてみてください。また、平岡訳は形式上「訓読」であるため、どの語をどう訳したかが一目瞭然です。ですから、『紅楼夢』を原文で読むときにも、本書を座右に置いて参照すれば、非常に参考になります。
ただ、平岡龍城先生が訳の定本とされたのが「八十回本」であるため、後半の三分の一(八十一回~百二十回)の部分の訳が無いのは残念です。百二十回まで完備した訳であったならと惜しむのは、私だけではないはずです。(しかし皮肉なことに、それゆえにこそ他の訳書にも存在価値が出てくるわけです。)
しかし、名人芸もここまでくると、もはや「訓読」というのは適当ではなく、「翻訳」の域に入っています。なぜなら、訓読の大きな特徴である「訳語の一定」ということが、もはや守られず、かなり自由な訳語が当てられているからです。やはり、白話文の「訓読」には限界があると言わざるをえません。
白話文の訓読訳は、この平岡龍城訳『紅楼夢』を、最初で最後の傑作として、歴史のかなたに消え去ってしまいました。
そして、このすばらしい仕事をした平岡龍城先生が、いかなる人であったのかさえ、今日では全く分からなくなっています。
『奥野信太郎 中国随筆集』(慶應義塾大学出版会)に、「美しい訪問者」という随筆が載っています(同書65ページ)。
それによると、あるとき奥野氏のもとへ学園紙の取材に来た三人の娘さんの一人が、たまたま龍城先生の孫娘だったというのです。龍城先生の息子さん(つまり孫娘の父親)は「まったく方面ちがいの仕事」をしていたこともあり、孫娘は祖父・龍城の業績について何も知りませんでした。そこで、奥野氏は龍城旧蔵の『紅楼夢』を片手に、孫娘に龍城の業績を語って聞かせます。
その『紅楼夢』は「最初から最後まで、龍城が丹精こめて自注を注記し、またその一字一字に、全部四声の圏点をつけてある」という、すごい代物でした。戦後間もなく、困窮した親族が処分したものを、奥野氏がたまたま購入していたのです。
ただ、奥野氏がこの文章を書いたのは、恐らく昭和二十年代か三十年代であり(未発表原稿だったので、はっきり分からない)、奥野氏も昭和43年には亡くなっています。平岡龍城先生を知る人は、もはや誰もいないかもしれません。
2005年3月27日公開。