日本漢文へのいざない

 

第一部 日本文化と漢字・漢文

第四章 漢文訓読について




(21)白話文訓読訳の傑作 -平岡龍城訳『紅楼夢』-

 前項の露伴訳『水滸伝』を見られた方は、これをもって白話文の訓読は本当に「無理」だと決め付けたくなられたことと思います。

 しかし、白話文の訓読訳には、一つだけ例外的な名訳があります。それは、平岡龍城(ひらおか・りゅうじょう)訳の『紅楼夢(こうろうむ)』(『国訳漢文大成』所収、大正10年)です。

 どれほどすばらしい訳なのか。それを示すには、引用するのがいちばんです。少し長くなりますが、『紅楼夢』第三十二回から、私の好きな場面を引用します。

 ヒロインの一人・林黛玉(りん・たいぎょく)は、主人公の宝玉(ほうぎょく)坊ちゃんとは相思相愛の仲ですが、旧家のしきたりや、ライバルが多すぎることなどから、自分達の将来を悲観しています。宝玉(ほうぎょく)と自分は、好きあっていても結ばれないのではないだろうか。たとい結ばれることができても、自分のような病身では添い遂げられぬのではなかろうか。将来を案じ、ひそかに涙をこぼす黛玉の気持ちを察し、宝玉はなんとか慰めようとします。

 これも原文は飛ばして、訓読のほうだけ見ていただいて結構です。

(原文)

 這裏宝玉忙忙的穿了衣服出来、忽抬頭見林黛玉在前面慢慢的走著、似有拭涙之状、便忙趕上来、笑道、「妹妹往那裏去、怎麼又哭了、又是誰得罪了你。」林黛玉回頭見是宝玉、便勉強笑道、「好好的、我何曽哭了。」宝玉笑道、「你瞧瞧、眼睛上的涙珠儿未乾、還撒謊呢。」一面説、一面禁不住抬起手来替他拭涙。林黛玉忙向後退了幾歩、説道、「你又要死了。作什麼這麼動手動脚的。」宝玉笑道、「説話忘了情、不覚的動了手、也就顧不的死活。」林黛玉道、「你死了倒不值什麼、只是丟下了甚麼金、又是甚麼麒麟、可怎麼様呢。」一句話又把宝玉説急了、趕上来問道、「你還説這話、到底是呪我還是気我呢。」林黛玉見問、方想起前日的事来、遂自悔自己又説造次了、忙笑道、「你別著急、我原説錯了。這有什麼的、筋都暴起来、急的一臉汗。」一面説、一面禁不住近前伸手替他拭面上的汗。宝玉瞅了半天、方説道「你放心」三個字。林黛玉聴了、怔了半天、方説道、「我有什麼不放心的。我不明白這話。你倒説説怎麼放心不放心。」宝玉嘆了一口気、問道、「你果不明白這話。難道我素日在你身上的心都用錯了。連你的意思若体貼不著、就難怪你天天為我生気了。」林黛玉道、「果然我不明白放心不放心的話。」宝玉点頭嘆道、「好妹妹、你別哄我。果然不明白這話、不但我素日之意白用了、且連你素日待我之意也都辜負了。你皆因総是不放心的原故、纔弄了一身病。但凡寛慰些、這病也不得一日重似一日。」林黛玉聴了這話、如轟雷掣電、細細思之、竟比自己肺腑中掏出来的還覚懇切、竟有万句言語、満心要説、只是半個字也不能吐、却怔怔的望著他。此時宝玉心中也有万句言詞、一時不知従那一句上説起、却也怔怔的望著黛玉。両個人怔了半天、林黛玉只咳了一声、両眼不覚滾下涙来、回身便要走。宝玉忙上前拉住、説道、「好妹妹、且略站住、我説一句話再走。」林黛玉一面拭涙、一面将手推開、説道、「有什麼可説的。你的話我早知道了。」口裏説著、却頭也不回竟去了。


(平岡龍城の訓読『国訳紅楼夢』より。現代表記で引用しています。また改行しています。)

 這裏(こちら)には宝玉(ほうぎよく)忙忙的(いそいで)衣服(きもの)穿了(きて)()()ると、(たちま)(あたま)()げて林黛玉(りんたいぎよく)丁度(ちようど)前面(むこう)慢慢的(そろそろと)走著(ゆく)のを()たが、どうも拭涙(ないて)様子(ようす)があるので、便忙(いそいで)趕上来(おいかけていつ)て、(わら)いながら、

妹妹(たいさん)那裏(どこ)往去(ゆき)なさる、して(また)怎麼(なん)哭了(なき)ます、是誰(たれ)(あなた)得罪(わるいこと)でもしたのではありませんか。」

 ()われて林黛玉(りんたいぎよく)回頭(ふりかえ)って()ると宝玉(ほうぎよく)なので、勉強(つとめ)(えがお)をつくり、

好好的(まあまあ)(わたし)何曽(なん)哭了(なき)ましょう」、と()う。

 宝玉(ほうぎよく)は、「你瞧瞧(そら)眼睛()(うえ)涙珠儿(なみだ)()(のこつ)ているではありませんか、撒謊(うそをつい)てはいけません」と、()一面(ながら)禁不住(おもわず)()抬起来(あげて)()(ため)(なみだ)()いてやった。

 林黛玉(りんたいぎよく)(さつそ)幾歩(いくあし)(あと)退了(ひいて)

(しつけいなこと)(します)ね。什麼(なん)這麼(こんな)動手動脚(いらぬことをなさる)。」

 すると宝玉(ほうぎよく)(わら)いながら、

説話(はなし)忘了情(むちゆうになり)(おも)わず()()(よう)なことをして顧不的死活(とんだそそうをし)ました」、と(ことわ)りを()うた。

 林黛玉(りんたいぎよく)は、

(あなた)()んでも(かえつ)什麼(なに)(なり)ますまいが、只是(ただ)甚麼(なんだ)(きん)とか、麒麟(きりん)とか()(よう)(もの)丟下了(ほつておいた)なら、それは怎麼様(どうなること)でしょう。」

 この一句話(こと)は、(また)宝玉(ほうぎよく)(はつ)(おも)わせ、趕上来(さつそくやつてき)て、

(あなた)這話(そんなこと)()いなさるは、到底(いつたい)(それ)(わたし)(のろ)うのですか、還是(また)(わたし)(しかる)のですか。」

 林黛玉(りんたいぎよく)(また)そう()われて、(まさ)前日(ぜんじつ)(こと)(かんが)()して、(つい)(みずか)自己(じぶん)造次(そそう)なことを()うたと()いて、(さつそ)(わら)いながら、

(あなた)もそう著急(せきこみ)なさるな、それは(わたし)()錯了(そこない)ましたのです、(それ)什麼的(なにも)そう筋都暴起来(あおすじたてて)急的一臉汗(あせをたらして)おさわぎなさることも御座(ござ)いますまい」、と()一面(ながら)禁不住(たえかねて)近前(すすみで)()()(ほうぎよく)面上(かお)(あせ)()いてやった。

 宝玉(ほうぎよく)半天(じつと)瞅了(ながめ)()たが、(やが)て「你放心(ごあんしんなさい)」との三個字(さんかのじ)説道(いう)た。

 林黛玉(りんたいぎよく)()いて、(また)半天(じつと)怔了(して)()て、

「それじゃ(わたし)什麼(なに)放心(あんしん)のできぬ(こと)でもありますのですか。(わたし)這話(そのわけ)明白(わかり)ません。(あなた)(かえつ)怎麼(なに)放心(あんしん)とか不放心(ふあんしん)とか説説(いい)なさるのですか。」

 すると宝玉(ほうぎよく)一口気(しきりと)嘆息(たんそく)して、

(あなた)(はた)して這話(そのこと)明白(わかり)ませぬ(よう)では、難道(どうも)(わたし)素日(ふだん)(あなた)身上的(ことを)(おもう)()たことは()用錯了(おもいちがい)でした、(あなた)意思(いし)でさえも体貼(すいりよう)(きれ)(よう)では、(わたし)天天(いつも)(あなた)生気(おこられ)たのは難怪(もつとも)(わけ)です。」

 林黛玉(りんたいぎよく)は、

果然(どうしても)(わたし)放心(あんしん)とか不放心(ふあんしん)とか(いうこと)明白(がてん)がゆきません。」

 宝玉(ほうぎよく)点頭(うなず)きながら(たん)じて、

好妹妹(たいさん)(あなた)別哄我(どうかかくさずにいうてください)()果然(はたして)()(こと)明白(がてん)がゆきませぬ(よう)では、()(わたし)素日(ふだん)(こころづかい)白用(むだ)になるばかりではありません、()(あなた)素日(ふだん)(わたし)(たい)する()にも(また)(まつた)辜負(そむく)(よう)なわけになります。それは(あなた)(みな)(すべ)不放心(ふあんしん)原故(ために)(まさ)(あなた)一身(いつしん)(やまい)弄了(つくつ)ている(よう)なわけでしょう。()(およ)寛慰些(きをひろくもて)ば、(こん)(びようき)でも一日(いちにち)一日(いちにち)(より)(おも)くなると()うことは()りません。」

 林黛玉(りんたいぎよく)()(ことば)()くと、(あだか)轟雷掣電(かみなりにうたれた)(よう)(かん)じ、細細(よく)(これ)(おも)うと、(つい)自己(おのれ)肺腑中(しんちゆう)から(しぼ)()して()たよりも、()懇切(こんせつ)(かんじ)がして、(つい)万句(ありたけ)言語(ことば)満心(つくし)(いお)うと(して)みても、只是(ただ)半個字(はんじ)()えず、(かえつ)怔怔的(じつと)(ほうぎよく)望著(のぞみ)()()た。

 此時(このとき)宝玉(ほうぎよく)心中(しんちゆう)にも(また)万句言詞(いろいろいいたいこと)があっても、一時(いちじ)那一句上(どこ)から()()したものか(かんが)えがつかず、(かえつ)(また)怔怔的(じつと)黛玉(たいぎよく)望著(みつめ)て、両個人(ふたり)(また)半天(しばらく)怔了(じつと)して()るばかりであった。

 頃之(しばらく)すると林黛玉(りんたいぎよく)()咳了一声(せきばらい)して、(おぼ)えず(その)両眼(りようがん)から(なみだ)滾下(ながし)ながら、()(かえ)して(ゆこ)うとした。

 宝玉(ほうぎよく)(いそ)上前(すすみ)いでて()()めて、

好妹妹(たいさん)()(ちよい)站住(おまち)なさい、(わたし)一句話(いうこと)()いてから再走(おいで)なさい」と説道(いう)た。

 林黛玉(りんたいぎよく)(なみだ)()一面(ながら)()()()けて、

什麼(なにも)説様(きくよう)なことはありませんし、你的話(あなたのこと)(わたし)(はや)知道(わかつ)()ます」と、口裏説著(いうて)頭也不回竟(ふりかえりもせずさつさ)去了(いつてしま)った。


 この訓読訳はまさに名人芸です。「様に」とか、「居た」など、日本語として最小限の言葉を書き加えている意外は、ほとんど原文の字をそのまま使って、口語訳風にしたてた手腕は、並大抵ではありません。今日読んでも林黛玉と宝玉の切ない思いが伝わってくるではありませんか。まさに千万人をして泣かしめる名訳です。

 ご存知のとおり、『紅楼夢』は古い北京語で書かれていますが、中国語が分かる方なら、この訳がいかに正確であるか、お分かりになるはずです。

 私はこれほどの名訳とは露知らず、たまたま古書店で見かけて購入したのです。しかし、読み進めるうちに、訳のあまりのすばらしさに驚き、これほどの名人が、かつておられたのかと、感動で胸が熱くなりました。

 さて、『紅楼夢』現代語訳では、松枝茂夫(まつえだ・しげお)訳(岩波文庫)と伊藤漱平(いとう・そうへい)訳(平凡社ライブラリー)が双璧とされていますが、古い平岡訳は、訳の正確さにおいて、この二つの訳をしのぎます。本当かと疑われる方は、ぜひ比べてみてください。また、平岡訳は形式上「訓読」であるため、どの語をどう訳したかが一目瞭然です。ですから、『紅楼夢』を原文で読むときにも、本書を座右に置いて参照すれば、非常に参考になります。

 ただ、平岡龍城先生が訳の定本とされたのが「八十回本」であるため、後半の三分の一(八十一回~百二十回)の部分の訳が無いのは残念です。百二十回まで完備した訳であったならと惜しむのは、私だけではないはずです。(しかし皮肉なことに、それゆえにこそ他の訳書にも存在価値が出てくるわけです。)

 しかし、名人芸もここまでくると、もはや「訓読」というのは適当ではなく、「翻訳」の域に入っています。なぜなら、訓読の大きな特徴である「訳語の一定」ということが、もはや守られず、かなり自由な訳語が当てられているからです。やはり、白話文の「訓読」には限界があると言わざるをえません。

 白話文の訓読訳は、この平岡龍城訳『紅楼夢』を、最初で最後の傑作として、歴史のかなたに消え去ってしまいました。

 そして、このすばらしい仕事をした平岡龍城先生が、いかなる人であったのかさえ、今日では全く分からなくなっています。

 『奥野信太郎 中国随筆集』(慶應義塾大学出版会)に、「美しい訪問者」という随筆が載っています(同書65ページ)。

 それによると、あるとき奥野氏のもとへ学園紙の取材に来た三人の娘さんの一人が、たまたま龍城先生の孫娘だったというのです。龍城先生の息子さん(つまり孫娘の父親)は「まったく方面ちがいの仕事」をしていたこともあり、孫娘は祖父・龍城の業績について何も知りませんでした。そこで、奥野氏は龍城旧蔵の『紅楼夢』を片手に、孫娘に龍城の業績を語って聞かせます。

 その『紅楼夢』は「最初から最後まで、龍城が丹精こめて自注を注記し、またその一字一字に、全部四声の圏点をつけてある」という、すごい代物でした。戦後間もなく、困窮した親族が処分したものを、奥野氏がたまたま購入していたのです。

 ただ、奥野氏がこの文章を書いたのは、恐らく昭和二十年代か三十年代であり(未発表原稿だったので、はっきり分からない)、奥野氏も昭和43年には亡くなっています。平岡龍城先生を知る人は、もはや誰もいないかもしれません。



2005年3月27日公開。

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