(g)漢文訓読法は、中国語の口語文(白話文)には適用できないこと。
訓読法の限界は、白話文、つまり口語の文章には適用できないことだといわれます。つまり、文語(文言)の文章だけしか訓読法で読むことができないのです。
中国語の文語文(つまり漢文)は、漢字の表意文字たる性質を十二分に生かして、簡潔な表現になっておりますから、訓読に非常に適しています。これに対し、白話(口語)の文章は、熟語や助字が多く、冗長です。そのため訓読には不向きなのです。
白話文を無理に訓読すると、どのようになるのでしょうか? その一つの例として、幸田露伴(こうだ・ろはん)苦心の『水滸伝(すいこでん)』訓読訳(大正12年)を紹介します。これは、『国訳漢文大成』と『露伴全集』に入っておりますから、誰でも容易に見ることができるものです。
以下には、露伴訳『国訳忠義水滸伝』から、魯智信(ろ・ちしん)が柳の木を引っこ抜く場面(第七回)を引用してみましょう。まず、原文を引用しますが、これは飛ばして訓読のほうだけを見ていただいても結構です。
(原文)
智深也乗着酒興、都到外面看時、果然綠楊樹上一箇老鴉巣。衆人道、「把梯子上去拆了、也得耳根清浄。」李四便道、「我与你盤上去、不要梯子。」智深相了一相、走到樹前、把直綴脱了、用右手向下、把身倒繳着、却把左手扳住上截、把腰只一趂、将那株綠楊樹帯根抜起。衆溌皮見了、一斉拝倒在地、只叫、「師父非是凡人、正是真羅漢身体。無千万斤気力、如何抜得起。」智深道、「打甚鳥緊。明日都看洒家演武器械。」衆溌皮当晩各自散了。従明日為始、這二三十個破落戸見智深匾匾的伏、毎日将酒肉来請智深、看他演武使拳。
(露伴訳『国訳忠義水滸伝』より。現代表記で引用しています。また読みやすいように改行しています。)
智深また酒興に乗着し、都て外面に到り看る時、果然綠楊樹上、一箇の老鴉巣あり。
衆人道う、「梯子を把りて上り去って拆了せば、也耳根の清浄を得ん。」
李四便ち道う、「我你が与に盤上り去らん、梯子を要せず。」と。
智深相し了する一相、走って樹前に到り、直綴を把って脱了し、右手を用て下に向い、身を把って倒まに繳着<注:纏わり着くる也。本へ反る勢をなしてというも非也>し、却て左手を把って上截<注:上截は上の方を捉らえとどめる也。>を扳住し、腰を把って只一趂す<注:趂は趁に同じ、追う也。勢に乗じて追求するを趁という、ここは腰をのしたる也>、那の(一)株の綠楊樹を将て根を帯びて抜起す。
衆溌皮見了って、一斉に拝倒して地に在り、只叫ぶ、「師父は是れ凡人に非ず、正に是れ真の羅漢の身体。千万斤の気力無くんば、如何ぞ抜き得起さん。」
智深道う、「甚の鳥緊を打さん<注:緊はしっかり也。切也。鳥は軽しめ侮る辞。打はなす。一句、なんでもないことというなり。>。明日都洒家が武を演じ器械を使うを看よ。」
衆溌皮当晩各自散じ了る。明日より始と為して、這の二三十個の破落戸、智深を見て匾匾的に<注:ひれふして>伏し、毎日酒肉を将ち来りて智深を請い、他の武を演じ拳を使うを看る。
これは本当にすごい訳です! 『水滸伝』の原文を訓読法で忠実に直訳しようと苦心しています。愚直なほどの苦心ではありませんか! しかし、これを読んで一体どれだけの人が理解できるのでしょうか? 大正時代の人人は、本当にこれを読みえたのでしょうか? 露伴先生苦心の訓訳も、読者がなくては空しいものとなります。
なぜ、これほど理解しがたい訳文になるかというと、露伴先生は漢文訓読の方式にのっとって、二字以上の語を忠実に音読しているからです。「老鴉巣」を「ろうあそう」と読んだのでは、何のことか分かりません。これは、「老鴉(からす)の巣(す)」と読んでおけばよかったのです。
この部分は、駒田信二訳では次のようになっています。(駒田信二氏による現代語訳、『中国古典文学大系28 水滸伝上』平凡社、89~90ページより)
智深も一杯機嫌で、みんなと外へ出て行ってみると、なるほど柳の木に鴉の巣がある。
「梯子でのぼってこわしてしまえば、耳のけがれもさっぱりするな」
とみながいうと、李四が、
「おれがのぼってやろう。梯子はいらん」
智深はしばらく見ていたが、やがて木のそばへ歩みよって衣をぬぎすて、右手を下にしてさかしまに抱きつき、左手で上のほうをかかえ、腰をぐっといれると、柳の木は根こそぎにひっこ抜かれてしまった。ならず者たちはそれを見ると、いっせいに地面にはいつくばっていう。
「お師匠さまはただ人ではない。まったく羅漢さまそのものです。千万斤を挙げる力がなくては、とてもひき抜けるものではございません。」
「なにこれしきのこと。あしたは武芸をやって、得物(えもの)を使ってみせてやろう」
ならず者たちはその夜はそれぞれ帰って行ったが、その翌日からというもの、この二三十人のごろつきたちは智深を見るとへいへいとひれ伏し、毎日酒や肉を持ってきてご馳走し、その武芸や拳法を眺めているしまつ。
ところで、露伴訳のような白話文の訓読は、戦後まで行われていました。私の父(昭和10年生まれ)が大学生のとき、つまり昭和30年前後に、大学で魯迅(ろ・じん)の作品を訓読で読む講座があったそうです。しかし、中国語学習の普及とともに、このような白話文の訓読は行われなくなりました。苦心して訓読するよりも翻訳するほうがよいからです。
2005年3月27日公開。