(c)顛倒(てんとう)の読みにて句法・字法皆失す
漢文訓読法で「返り読み」をすることにより、漢文の文意に対する誤解が生じることです。
春台先生は、「不必」「必不」の例を出しています(勉誠社文庫版『倭読要領』39ページ)。これらは、「部分否定」と「全部否定」の問題ですが、これらは当時どちらも「かならず・・・ず」と読まれていたので、訓読では意味の区別が分かりませんでした。語順が決定的な意味の違いをあらわす漢文を、日本語の語順に置き換えて理解するのは、困難であるという指摘なのです。
もっとも、今日では部分否定の「不必」は「かならずしも・・・ず」、全部否定の「必不」は「かならず・・・ず」と読みわけて、意味の区別を表すようになっています。このように、訓読法にも少しずつ改良が加えられています。
ここでは、日本語には存在しない語法を訓読で読むのが困難な場合を見てみることにします。漢文には英語のように不定代名詞(中国の文法用語では「無定代詞」)があります。「或」「莫」の二つです。「或」は‘somebody’に相当し、「莫」は‘nobody’に相当します。これらは訓読ではどう読まれているでしょうか。『論語』の訓読を見てみましょう。
(例文)或謂孔子曰、子奚不為政。(『論語』為政第二)
(訓読)或ひと孔子に謂って曰く、子奚ぞ政を為さざる。
(訳)ある人が孔子に語りかけた。「あなたはなぜ政治家にならないのか」
「或」を「あるひと(somebody)」と読んだのは、ご立派です。名訳ではありませんか。ところが、「莫」のほうはかなり問題です。
(例文)不患莫己知、求為可知也。(『論語』里仁第四)
(訓読)己を知る莫きを患えず、知らる可きを為すを求むる也。
(訳)自分を認めてくれる人がいないことを悩まず、人から認められる行為をすることを心がけよ。
「莫」は、「そのような人がいない(nobody)」という意味の不定代名詞(無定代詞)ですが、「なし」と日本語の形容詞に読まれています。これでは「不」、「無」などの否定副詞との違いが分かりません。これは「句法・字法皆失す」の典型と言えそうです。しかし、それならどう読めばよいかというと、昔の人も頭を悩ましたに違いありません。不定代名詞は日本語にはないのだから、仕方ありません。意味の誤解さえしなければよいものと、割り切ってしまいましょう。
2005年3月27日公開。