日本漢文へのいざない

 

第一部 日本文化と漢字・漢文

第四章 漢文訓読について




(5)漢文訓読法の特徴1 音読しないこと

(a)もとの中国語音(もしくは日本漢字音)での音読はせず、いきなり訓読します。

 「英文訓読」では、下手な発音ながら「音読」をしましたが、漢文訓読では、一切「音読」はせず、最初から訓読(直訳)を行います。

 例えば、

「子曰、学而時習之、不亦説乎。」(『論語』)という文は、

()(ゑつ)(がく)()()(しふ)()(ふつ)(えき)(えつ)()。」

あるいは、

(zĭ) (yūe)(xué) (ér) (shí) () (zhī)() () (yuè) ()。」

などと音読せず、いきなり

()(いわ)く、(まな)んで(とき)(これ)(なろ)う、(また)(よろこ)ばしからずや。」

と読み下してしまいます。

 奈良時代・平安時代の昔には、漢文は当時の中国音で音読されていたようですが、遣唐使の廃止で中国との直接交渉が途絶えると、音読は次第に廃れてしまい、漢文は訓読するだけのものになりました。しかし、音読をしなくても原文に即した読解ができます。それはなぜでしょうか?

 漢文訓読法では音読こそしませんが、漢字の表意文字としての特徴を生かして、原文の漢字(=単語)をそのまま使用します。これが音読の代わりになるのです。原文の漢字(=単語)を日本式に読んで、そのまま使用するため、訓読が直訳であることをつい忘れ、原文をそのまま読んでいるような錯覚に陥るのです。

 「錯覚」などというと、「何を言うか!」と怒る方もいらっしゃるかもしれません。それほど、漢文訓読では原文そのものを読んでいるという感覚が強いのです。漢文訓読のもつ千年以上の歴史も影響しているかもしれません。これは非常に面白いことです。



2005年3月27日公開。

ホーム > いざない > 漢文と日本文化 > 訓読法の特徴1 音読しないこと

ホーム > いざない > 漢文と日本文化 > 訓読法の特徴1 音読しないこと