(a)もとの中国語音(もしくは日本漢字音)での音読はせず、いきなり訓読します。
「英文訓読」では、下手な発音ながら「音読」をしましたが、漢文訓読では、一切「音読」はせず、最初から訓読(直訳)を行います。
例えば、
「子曰、学而時習之、不亦説乎。」(『論語』)という文は、
「子曰、学而時習之、不亦説乎。」
あるいは、
「子 曰、学 而 時 習 之、 不 亦 説 乎。」
などと音読せず、いきなり
「子曰く、学んで時に之を習う、亦説ばしからずや。」
と読み下してしまいます。
奈良時代・平安時代の昔には、漢文は当時の中国音で音読されていたようですが、遣唐使の廃止で中国との直接交渉が途絶えると、音読は次第に廃れてしまい、漢文は訓読するだけのものになりました。しかし、音読をしなくても原文に即した読解ができます。それはなぜでしょうか?
漢文訓読法では音読こそしませんが、漢字の表意文字としての特徴を生かして、原文の漢字(=単語)をそのまま使用します。これが音読の代わりになるのです。原文の漢字(=単語)を日本式に読んで、そのまま使用するため、訓読が直訳であることをつい忘れ、原文をそのまま読んでいるような錯覚に陥るのです。
「錯覚」などというと、「何を言うか!」と怒る方もいらっしゃるかもしれません。それほど、漢文訓読では原文そのものを読んでいるという感覚が強いのです。漢文訓読のもつ千年以上の歴史も影響しているかもしれません。これは非常に面白いことです。
2005年3月27日公開。