英文訓読の話の最後に、「欧文脈(英文脈)」の代表ともいえる、日本一有名な歴史的文章を引用しておきましょう。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」(『日本国憲法』前文より)
この文章をご存知ない方はおられないはずです。この憲法前文は、元の英文を非常に忠実に直訳したものです。どれほど忠実であるかは、原文(英文)の下に翻訳(憲法の文章)を書いてみるとよく分かります。これは、もう「訓読」といってもよいほどの直訳体です。『日本国憲法』に、直訳体をあえて用いたのは、憲法が米国からの押し付けであることを明示するために、憲法制定者がせめてもの抵抗をこめたものかもしれません。
We, the Japanese people, | desire | peace | for all time |
(われら)日本国民は、 | 念願し | 平和を | 恒久の |
and are deeply conscious of | the high ideals |
深く自覚するのであって、 | 崇高な理想を |
controlling | human relationship, |
支配する | 人間相互の関係を |
and we have determined | to preserve | our security and existence, |
(われらは)決意した。 | 保持しようと | われらの安全と生存を |
trusting | in the justice and faith |
信頼して、 | 公正と信義に |
of the peace-loving | peoples of the world. |
平和を愛する | (世界の)諸国民の |
私事にわたりますが、私は大学生のころ、あるイギリス人から英会話を習ったことがあります。その先生は、イタリア人やギリシア人にも英語を教えた経験のある人でした が、「日本の英語教育は非常に優れている」と断言していました。「十年習っても、英会話すらできない」はずの、悪名高いわが国の英語教育を、本国人が誉めてくれたので、私は驚いて「なぜそう思うのか?」と尋ねてみました。彼が言うには、「日本の英語教育は、一種の翻訳法(a kind of translation method) である。日本人はその方法によって、的確に英文を理解する力を培っている。だから、日本の英語教育は優れている。」ということでした。
会話の上達はもちろん大事なことですが、異文化理解のためには読解力を付けなければなりません。わが国では、明治以来、会話よりも訓読、すなわち直訳に重点をおく英語教育をしてきました。これは読解力の涵養という点では、イギリス人教師も効果を認める、すぐれた教育法だったのです。
この評価は、漢文訓読法にも当てはまると思います。英文訓読法も漢文訓読法も一見すると目茶苦茶な方法に見えますが、実は日本語を媒介として原文の意味を的確につかむことができる、すぐれた方法だったのです。
2005年3月27日公開。