私は、古典のかなづかいは、あくまで原文どおりに忠実に再現するべきだと思っています。鎌倉時代に書かれたものや、江戸時代に書かれたものは、「歴史的かなづかい」から見ると「誤った」かなづかいで書かれていることがあり、古典全集などに収録される際に「歴史的かなづかい」に書き改められている場合があります。 しかし、これは一種の改竄に当たると思います。
和文の古典の場合は、上記のごとく考えておりますが、漢文の訓読文については少少事情が異なります。なぜかというと、訓読文自体は原文とは言えないからです。訓読文は漢文の原文から見ると翻訳にすぎず、二次的なものです。ですから、原文尊重の観点からは、訓読文のかなづかいは全く問題になりません。訓読文は「歴史的かなづかい」、「現代かなづかい」のいずれでもよいと思います。
高校で使う漢文教科書は、現時点においては「歴史的かなづかい」で表記されています。そこで、当サイトでも『名家短文集』の訓読文では、慣習に従い「歴史的かなづかい」を採用しました。
字音も歴史的かなづかいとしたのは、字音だけを現代かなづかいとするのは、私の感覚からは、ちぐはぐな感じがして厭だったからです。
また、『名家短文集』で、漢字の字体を繁体字(旧字体)としたのは、JISでは出ない漢字が多いため、文字コードをユニコードにしたためです。
ユニコードでは日中の似た形の漢字を同一のコードで表しているため、中国語用のフォントと日本語用のフォントでは同じコードなのに別の字体で表示されるものがあります。「漢」や「為」などがそれです。これは、ユニコードの初期設計のミスによるもので、ユニコード最大の欠点とされています。(詳しくは、加藤弘一著『電脳社会の日本語』、文春新書、をご覧ください。)
※漢字の字体については、非常に大事な問題を含んでいますから、後の章で改めて解説する予定です。
2004年11月3日公開。2017年2月12日一部修正。