日本漢文へのいざない

 

第一部 日本文化と漢字・漢文

第三章 日本漢字音と字音かなづかい




(12)歴史的かなづかいは定着しない

 「歴史的かなづかい」は、もともと人工的に作られたものです。江戸時代の国学者・契沖(けいちゅう、1640-1701)が大枠を作り、本居宣長が漢字音の部分を作りました。

 自然発生したものではなく、人工物ですから、自然に衰退してしまうのは、やむをえません。なぜかといいますと、表音文字は、どうしても発音どおりの表記に流れてしまうからです。「かな」も表音文字ですから、次第に発音どおりになってしまうのは、しかたがないのです。

※アルファベットで表記する諸言語の中で、英語はとくに発音と綴りの乖離が著しく、一種の表意的綴りであると言われます。しかし、日本語においては、表意的要素は、かなではなく漢字がその役目を果たしておりますから、英語の綴りの例を日本語の歴史的かなづかい擁護の論拠とするのは、かなり無理があるように思います。また、英語においても、綴りと発音があまりに懸け離れたものは、綴りが変更されています。gaol→jail、gauge→gage、manoeuvre→maneuverなどがその例です。逆に綴りに引きずられて発音が変わる例もあります。oftenのtを発音する類です。foreheadのhやcupboardのpなど、以前は発音しないのが標準とされていたものも、今日では綴り通りに発音されることが多く、Wednesdayを綴り通りに発音する人さえいます。

 契沖の「歴史的かなづかい」がもとにしたのは、奈良時代から平安初期までの発音です。 平安初期の人は、もちろん「正しい」かなづかいをしておりますが、これは彼等が「正しい」かなづかいを心がけたからではなく、発音どおりにかなを使い分けていたからにすぎません。 しかし、国語の音は次第に変化し、たとえば「お」「ほ」「を」は、平安時代には違う発音でしたが、鎌倉時代には同じような発音になっていました。鎌倉人たちは、「多い」と書くにも、「ををい」などと書いて、澄ましています。これは、歴史的かなづかいでは「おほい」と書かねばならないはずのところです。このようにして、かなづかいは「乱れて」いきました。 ただし、「乱れる」というのは、歴史的かなづかいの立場からの主張にすぎません。当時は「かなづかい」という概念そのものがなく、自由に書いていたのです。

 契沖らの「歴史的かなづかい」は、一部の国学者の支持を得ていたに過ぎませんでしたが、これが一転して権威をもつようになったのは、明治時代に学校教育で採用されたからです。 明治6年に文部省が作った小学校用教科書に、すでに「歴史的かなづかい」が採用されているとのことです(築島裕著『歴史的仮名遣い』、中公新書、134ページ)。しかし、学校の外では以前どおり、自由なかなづかいが行われていました。明治の出版物や新聞を見てみますと、かなづかいもルビも好い加減なものが目に付きます。 しかし、明治24年に出た大槻文彦の国語辞典『言海』(ちくま学芸文庫に復刻版があります)が国民的辞書として普及したことで、「歴史的かなづかい」は次第に一般にも浸透してゆきました(築島前掲書、140ページ)。

 文部省では、「歴史的かなづかい」がなかなか普及しない実態を考慮して、「歴史的かなづかい」を教えるのをやめ、「発音的かなづかい」を教えるようにしようと計画したことがあります。その準備のため、「臨時仮名遣調査委員会」という公聴会が、明治41年に開催されました。

 文豪の森鴎外(もり・おうがい、1862-1922)も、この委員会に、委員として参加していました。彼は堂堂たる歴史的かなづかい擁護の名演説を行い、そのために文部省の仮名遣改定案は、撤回を余儀なくされました。これが有名な『仮名遣意見』という演説です。

 しかし、今この演説を読めば、「歴史的かなづかい」が明治41年当時においてすら、社会的にはあまり浸透していなかった実態がよく分かります。私はその点に興味をもちました。たとえば、次の部分を見てください。

稍稍(やや)(うえ)学校(がつこう)中学(ちゆうがく)以上(いじよう)になって仮名遣(かなづかい)(あやま)(れい)(しき)りに()げられて、それを(もつ)困難(こんなん)(もし)くは不可能(ふかのう)証明(しようめい)にしようとせられますけれども、(これ)周囲(しゆうい)(あやまり)(おお)い、新聞紙(しんぶんし)()んでも小説(しようせつ)()んでも、(みな)乱雑(らんざつ)仮名遣(かなづかい)である、()()れるものが(みな)(ちが)って()るのでありますから、縦令(たとい)学校(がつこう)だけでどう(おし)えても(あやま)るのであります。

(『仮名遣意見』、鴎外選集第13巻192ページ下段、現代表記に改めて引用。)

 このように、「歴史的かなづかい」は、明治・大正期の学校教育によって、数十年の長い期間をかけて、やっと普及しました。しかし、普及の程度は極めて不十分でした。それゆえに、昭和21年に「現代かなづかい」が登場すると、あっというまに主役の座を明渡してしまったのです。契沖ら先学の苦心を思うと、残念な気もしますが、発音どおりの表記になってしまうのは、表音文字の運命だと思います。「かな」もその運命を免れることはできません。

 もう少しだけいいますと、「現代かなづかい」には、「通る」を「とおる」と書くことなど、「歴史的かなづかい」の残滓といわれる部分が残っています。しかし、これらもいずれ払拭される運命だと思われます。私の若い友人(それも優秀な!)から、「そのとうり!」と綴ったメールが来るからです。

 最後まで残るのは「○○は」、「○○へ」、「○○を」でしょうか。これらは、文法を背景とした綴りですから、容易に消えることはないと思われます。しかし、「こんにちは」や「こんばんは」は、単なる挨拶のことばになり、「今日は(よいお天気で・・・)」という由来が忘れられたために、「こんにちわ」、「こんばんわ」という綴りが、メールなどでは次第に一般化しているようです。



2004年11月3日公開。

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