日本漢文へのいざない

 

第一部 日本文化と漢字・漢文

第三章 日本漢字音と字音かなづかい




(10)字音の歴史的かなづかいは、なぜか冷遇される

 前項においては、宣長大人が定めた漢字音の歴史的かなづかいの問題点をみてきました。見ようによっては、かなり杜撰なものともいえる字音の歴史的かなづかいは、果たして今日でも使用するメリットがあるでしょうか?

 いろいろ考えてみましたが、考えついたのは次の二つです。

(a)現代中国語の学習に役立つ

 字音の歴史的かなづかいのメリットとしては、現代中国語を学ぶときに役に立つという点が、もっとも大きいように思います。このことは、私自身も経験者ですから、とくに強調しておきたいと思います。

 たとえば、「看」、「観」は現代かなづかいではどちらも「カン」ですが、歴史的かなづかいでは「看」は「カン」、「観」は「クヮン」となります。歴史的かなづかいだと、現代中国音の看(kàn)、 観(guān)との関連性が明らかです。

(b)平仄の判別に有利

 メリットのもう一つは、入声(にっしょう)の漢字を判別する上で、有利なことです。漢字音の歴史的かなづかいでは、現代中国音では消滅してしまった入声の音、なかでも現代かなづかいでは「ウ」になってしまう韻尾の「フ」(「法」の「ハフ」や「入」の「ニフ」などの韻尾の「フ」)が保存されています。ですから、漢詩の作詩をする方は、漢字音の歴史的かなづかいを知っていると有利です。

 しかし、苦労して字音の歴史的かなづかいを習得しても、メリットはこの程度しかなさそうです。

 習得のメリットが少ないためか、歴史的かなづかいの擁護論者も、漢字音の歴史的かなづかいに対しては非常に冷淡です。急先鋒であった福田恆存(ふくだ・つねあり)氏さえも例外ではありません。「難しいから、そこまで徹底することはない」というのが、その理由です(たとえば福田氏著『私の國語敎室』、文春文庫、192ページ)。不思議なことに、「宣長大人の字音かなづかいが間違っているから」、という理由ではありません。

 しかし、字音を現代かなづかひにしてしまふのならば、漢字以外の部分だけを歴史的かなづかひにしたところで、現代かなづかひの場合と、それほど違ひは出てきません。なぜなら、日本語は必ず漢字まじりでつづりますし、漢字の部分が全体に占める割合が多いからです。字音の歴史的かなづかひを排するならば、歴史的かなづかひを擁護する必要さへも無くなるやうな気がします。(この段落だけ、わざと歴史的かなづかひにしてゐます。)

 最近出版される漢文関係の本でも、地の文は歴史的かなづかいなのに、漢字音のふりがなだけは現代かなづかいというものが多くなりました。『漢文名作選』(大修館書店)や『研究資料漢文学』(明治書院)などの選集もそうです。『漢文入門』(岩波全書)もそうなっています。これらはよくできた本ですが、字音だけが現代かなづかいというのは、どうもちぐはぐな感じがします。そんなことならいっそ地の文も現代かなづかいにしたほうが、すっきりするのではないでしょうか。朝日選書の『中国古典選』シリーズは、すべて現代かなづかいになっていますが、これは一つの見識だと思います。



2004年11月3日公開。

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