日本漢文へのいざない

 

第一部 日本文化と漢字・漢文

第三章 日本漢字音と字音かなづかい




(8)反切法を現代中国語(普通話)に試みてみる

 現代中国音(普通話)に『広韻』の反切法が当てはまるかどうか試みておきましょう。(2)で例に出したのと同じ字を見てみます。

(a)成  是征切  是(shì) 征(zhēng)なので、
「sh」+「ēng」=「shēng」のはず。実際は「chéng」

「成」の字 声母 韻母
反切
反切の表す音 sh ēng
漢字音 shēng(→chéng)

(b)元  愚袁切  愚(yú)これは普通話では、声母のない「ゼロ声母」の音です。袁(yuán)もゼロ声母ですから、これがそのまま韻母になります。
 「(ゼロ声母)」+「yuán」=「yuán」。実際の音も「yuán」なので、これはたまたま合っています。

「元」の字 声母 韻母
反切
反切の表す音 ゼロ yuán
漢字音 yuán

(c)幸  胡耿切  胡(hú)、耿(gĕng)なので、
「h」+「ĕng」=「hĕng」のはず。実際は「xìng」

「幸」の字 声母 韻母
反切
反切の表す音 h ĕng
漢字音 hĕng(→xìng)

(d)外  五会切  五(wŭ)、この字はゼロ声母です。そして会(huì)の韻母は、「wèi」となります。なぜかという説明は省略します。(中国語の教科書に載っている音節表を見ていただけば分かります。)したがって、
「(ゼロ声母)」+「wèi」=「wèi」のはず。実際は「wài」

「外」の字 声母 韻母
反切
反切の表す音 ゼロ wèi
漢字音 wèi(→wài)

(e)薬  以灼切  以(yĭ)、これはゼロ声母です。灼(zhuó)の韻母は「wó」なので、
「(ゼロ声母)」+「wó」=「wó」のはず。実際は「yào」。ただし、これは本来「入声」の字ですから、「入声」の消滅している「普通話」では、もともと韻書の反切は適用できません。

「薬」の字 声母 韻母
反切
反切の表す音 ゼロ
漢字音 wó(→yào)

(f)風  方戎切  方(fáng) 戎(róng)なので、
  「f」+「óng」=「fóng」のはず。実際は「fēng」。

「風」の字 声母 韻母
反切
反切の表す音 f óng
漢字音 fóng(→fēng)

 このように、現代中国語音(普通話)は日本漢字音よりも更に反切に合わない場合が多い。また、普通話では「入声」が消滅してしまっていますから、入声の字には反切は適用できません。

 そもそも、『広韻』の音韻体系は、「切韻音系」といわれるもので、隋(ずい)の陸法言(りく・ほうげん)という人が作った『切韻』という韻書に基づいています。日本漢字音の漢音は、唐の始めころの音韻を伝えているので、まだ『広韻』と合うものも多いのです。

 しかし、中国では唐代以降どんどん音韻が変化してしまったので、『広韻』が今の普通話の音に合わないのは当然のことです。つまり、『広韻』の反切から普通話の字音を知ることは、基本的には不可能です。『広韻』の反切から普通話の字音を調べたい場合は、『広韻反切今音手冊』(李葆嘉編著、中国:上海辞書出版社)などの工具書を使う必要があります。

 本居宣長は当時の唐音(南京音)を「甚だしき謬音なり」と決め付けましたが、これは当時の南京音が韻書に合わなかったからです。今の「普通話」も、彼にかかれば「甚だしき謬音なり」と退けられてしまうことは、まず間違いないところです。



2004年11月3日公開。

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