日本漢文へのいざない

 

第一部 日本文化と漢字・漢文

第二章 漢文と中国語




(12)普通話における「読音」

 「読音(dú yīn)」というのは、古文(漢文)を読むときだけに用いるペダンティックな字音で、話し言葉の字音(語音)とは違うものです。

(11)の「異読」は、話し言葉でも音を違えて読むのですが、この「読音」というのは、中国で昔の読書人が古文(漢文)を読むときにだけ、会話の語音とは違う音で読んでいたものです。

 たとえば、「白」は語音では「bái」と発音します。しかし、読音では「bó」と読みます。詩人の「李白(りはく)」の名前の発音は、「Lĭ Bó」です。彼の名が英語で 「Li Po」と表記されるのは、読音によっているわけです。

 「読音」の例を、ほかにも挙げてみますと、我(語音「wŏ」、読音「ĕ」)、黒(語音「hēi」、読音「hè」)、車(語音「chē」、読音「jū」)、弄(語音「nòng 」、読音「lòng」)、六(語音「liù 」、読音「lù」)、巫(語音「wū」、読音「wú」)、怯(語音「qiè」、読音「què」)、杉(語音「shā」、読音「shān」)、率(語音「shuài」、読音「shuò」)、粥(語音「zhōu」、読音「zhù」)、軸(語音「zhóu」、読音「zhú」)・・・・。これも、かなりたくさんあります。

 「読音」の歴史は古く、『論語』(述而篇)にすでに次のような記事があります。 

(原文)子所雅言、詩書執礼、皆雅言也。

(訓読)()雅言(がげん)する(ところ)は、()(しよ)執礼(しつれい)(みな)雅言(がげん)(なり)

(訳)孔子が正しい発音を用いられるのは、詩経や書経を読むときと、儀式を執り行うときである。このようなときは、いつも正しい発音を用いられた。

 この章の「雅言」については諸説がありますが、当時の標準語であった周王朝の発音だとする説が、最近は有力であるようです。(吉川幸次郎著『論語 上』、朝日選書、227ページなど)

 また、隋代に陸法言が編集した韻書(字音辞典)『切韻(せついん)』は、当時の「読音」を分類したものでした。陸法言の『切韻』原本は、早くに失われてしまいましたが、『切韻』を拡充して作られた『広韻』という韻書に、陸法言の『切韻』序文が転載されています。それによると、彼は仲間の蕭該、顔之推(『顔氏家訓』の著者)らと大いに議論して字音を決定したと言っています。

 このように、字音を正して読むことは、中国読書界の長い伝統だったのです。現代中国の普通話や各方言に残る「読音」は、この伝統に基づき、古く正しいと信じられた字音を保存したものだと言われます。

 しかし、「読音」は、最近の中国では廃れつつあり、古文(漢文)を音読する際にも「読音」で読むことはなくなってきました。音読の権威であられた、倉石武四郎(くらいし・たけしろう)博士の『中国古典講話』(大修館書店)でも、読音を用いず、普通の語音で読んでおられます。

 「李白」さんは、いつのまにか「Lĭ Bó」さんから「Lĭ Bái」さんになってしまいました。その善悪はともかくとして、われわれ外国人にとっては、「読音」を気にせずに普通の語音で読めるのなら、中国語での音読の負担はかなり軽減されることになります。

※普通話の「読音」について詳しくお知りになりたい方は、王志成著『多音字分読研究―以語音読音為中心』(台湾:文史哲出版社)などを参照してください。



2004年11月3日公開。

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