日本語には高低の調子しかありませんから、日本漢字音では、漢字の持つ「平」(ひょう)、「上」(じょう)、「去」(きょ)、「入」(にゅう)の四つの声調(四声)をうまくあらわすことができません。そのため、日本漢字音では、声調が伝わらずに消えてしまいました。
日本漢字音では声調が分からないため、江戸時代の日本人は、漢詩を作るために、平声(ひょうしょう)は○、仄声(そくしょう、上、去、入の三声)は●であらわした詩語表を 機械的に諳記していました。これはたいへんな努力であったと思います。 諳記した詩語を平仄式に当てはめて漢詩を作るのです。たとえば、七言絶句(七言平起)では、平仄式は次のようになります。
平平 仄仄 仄平平 ○○ ●● ●○○
仄仄 平平 仄仄平 ●● ○○ ●●○
仄仄 平平 平仄仄 ●● ○○ ○●●
平平 仄仄 仄平平 ○○ ●● ●○○
上の平仄式を、江戸時代の日本人は次のように棒読みしておぼえていました(『作詩関門』、明治書院、306ページ)。
(読み方)
ヒョー・ヒョー、 ソク・ソク、 ソク・ヒョー・ヒョー
ソク・ソク、 ヒョー・ヒョー、 ソク・ソク・ヒョー
ソク・ソク、 ヒョー・ヒョー、 ヒョー・ソク・ソク
ヒョー・ヒョー、 ソク・ソク、 ソク・ヒョー・ヒョー
平仄式を、棒読みで朗誦したとき、「ヒョー」とおおらかに伸びる音が平音(ひょうしょう)、「ソク」とつづまる音が仄声(そくしょう)です。私は、この棒読みの朗誦によって、江戸時代の日本人も、漢詩の平仄のリズムを何となく掴んでいたのではないかと思っています。
さて、日本漢字音では四声の区別は伝わらなかったのですが、われわれ日本人には、中国人(のうち北方の人)には判別の難しい入声の字が、すぐに判別できます。日本漢字音(ただし歴史的かなづかい)の語尾に「フ・ク・ツ・キ・チ」が付く字は必ず入声なのです。たとえば、「法」は「ハフ」。これはもともと「fap」のような音だったのです。「入」は「ニフ」、つまり「nip」。これらは「フ(p)」が付きますから、入声です。「得」は「トク」(tok)で「ク(k)」が付き、「発」は「ハツ(fat)」で「ツ(t)」が付き、「域」は「ヰキ(wik)」で「キ(k)」が付き、「吉」は「キチ(kit)」で「チ(t)」が付くので、いずれも入声というふうに簡単に見分けられます。 現代かなづかいでは、末尾が「フ」の字が「ウ」に変わってしまったので、特別に覚えるしかありませんが、「ク・ツ・キ・チ」については、現代かなづかいでも難なく見分けられます。
ただし、例外もあります。それは、日本漢字音には「慣用音」があるからです。たとえば、「不」という字は慣用音が「フ」という音なので、入声とは気づきにくいのですが、本来の漢音は「フツ」で、入声の字です。「摸索(モサク)」の「摸」も、本来の漢音は「バク」で入声です。また、意味によっては入声となる字があります。たとえば「度(ド)」は「はかる」意味のときは、音が「タク」で入声になります。
入声字以外の漢字の声調は、日本漢字音では全く分かりません。しかし、声調を手っ取り早く調べる方法があります。それは、漢和辞典を引くことです。漢和辞典には声調と韻についての注記があるのです。(あまり小さな辞典にはないので注意。)
たとえば「天」という漢字の声調を知りたいとします。漢和辞典で「天」を引いて、声調と韻の注記を見ると、次のようにあります。
┌─┐
│先│
○─┘
□のなかに、漢字が一文字書いてあります。そして、□の左下の角(かど)に○があります。
この○の位置が、声調を表します。□の左下の角に○がある場合は、その字が「平声」であることを表します。そして、□の左上に○があれば「上声」、右上ならば「去声」、最後に右下ならば「入声」です。昔は、漢字の四隅に朱で点を打って、声調をしめしていました。四隅の○は、そのやり方を踏襲しています。つまり、□を漢字に見立て、○を朱点に見立てているわけです。
□の中に書いてある「先」の字は、いま調べている「天」という漢字が属する「韻」を表しています。これは、漢詩の作詩に用いる「百六韻」で、「平水韻」といわれているものです。「天」の字は、「平水韻」では、平声の「先」の韻のグループに属していることが、これで分かります。(韻についての詳しい説明は省略します。)
以上の説明を整理して、漢和辞典の声調と韻の注記の見方を図示してみます。
上─去
│韻│
平─入
皆様もぜひ一度、漢和辞典を開いて、漢字の声調を調べてみてください。
2004年11月3日公開。