日本漢文へのいざない

 

第一部 日本文化と漢字・漢文

第一章 漢文と日本文化




(3)日本のルネサンス(江戸時代)における漢文の国語化

 平安時代、わが国の漢文学は最初の絶頂期を迎え、四六駢儷体(しろく・べんれいたい)の装飾的な美文が盛んに作られました。しかし、王朝文化は平安末期には早くも衰微し、その後中世は相次ぐ戦乱により、殺伐たる時代が続きました。

 その後、徳川幕府が天下を平定し、文教を振興するに及んで、それまで抑圧されていた文化への欲求が一気に開放され、ヨーロッパのルネサンスにも比すべき文化的活況を呈することになりました。

 江戸時代初期の文化の特徴は、ルネサンス(=古典復興)であり、それまで衰微していた漢文学が一転して学問の中心となりました。

 しかし、王朝文化の特徴であった四六駢儷体の美文は復活せず、学問は儒学中心となり、文章の規範としては唐宋時代の擬古文が学ばれました。

 江戸時代中期以後には、漢詩文を作ることは知識人の必須の教養となり、荻生徂徠、頼山陽などの優れた文人が輩出しています。

 当時の知識人は、漢文を作るに当たって、和習(日本人が漢文を作るとき、日本語にひきずられて、漢文の語彙語法にあわなくなった部分)をできる限りなくすことを目指し、中国の古典を深く学びました。江戸時代の主要な著作の多くは、漢文で発表されています。こうした先人の残した漢文の著作は、国文学の歴史の中で異彩を放っています。

 江戸時代においては、漢文は知識人の間では、ほとんど国語同様に扱われていました。しかし、荻生徂徠ら一部の学者以外は、中国語を知らず、訓読による訓練だけで漢文を自在に操る能力を身につけていました。これは実に驚くべきことです。



2004年11月3日公開。

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