古代のヨーロッパでは、ローマ帝国が文化的にも軍事的にも圧倒的な力をもち、周辺の民族を従えました。そのため、「ラテン文」がヨーロッパ共通の書面語として広まりました。
古代の東アジアでは、中国が周辺諸国に対して、ちょうどローマ帝国のような影響力をもっていたため、わが国や、朝鮮、ベトナムで「漢文」が用いられるようになりました。「漢文」は東アジアにおいて、ヨーロッパにおける「ラテン文」のような役割を担いました。
古代の日本人は漢字を自国の文字として採用し、それらが一字一字意味をもつ「表意文字」であることを発見して、それぞれの漢字に「和訓」を与えました。
「和訓」というのは、「山(サン)」という字を「やま」、「川(セン)」という字を「かわ」と大和言葉で読むことです。
それが更に発展して、漢文を読むにも「和訓」を用い、国語の語順に直して読むようになりました。これが「訓読」です。「訓読」は、朝鮮やベトナムには見られない、わが国特有の読み方です。こうして日本語は 漢文・漢語を取り込んで発達しました。この過程は、英語がラテン語やフランス語を取り込んで発達したのと似ています。
漢語は今や完全に日本語の一部分となっており、もはや日本語から切り離すことはできません。これは、英語がラテン語系の語彙をたくさんもっており、それら無しでは成立できないのと似ています。
韓国やベトナムでは、漢字が廃止されてしまいましたが、日本では廃止できませんでした。漢字を廃止すれば日本語は会話すら成り立たなくなるからです。
2004年11月3日公開。