日本漢文の世界

 

英傑の遺墨が語る日本の近代



武富時敏(唇堂) 七言対句
たけとみ・ときとし(しんどう)


1855-1938。佐賀県議会議長をへて大隈内閣蔵相等。

武富時敏 七言対句 日本漢文の世界 kambun.jp

[解読]

謝老十年辞世途(韻)
険夷何処不関吾(韻)
唯惜故園松菊槁
茫茫満目長榛蕪(韻)
(七言絶句。平声虞韻)
 壬申初春偶作 唇堂七十八叟

[訓読]

謝老(しゃろう)十年(じゅうねん) 世途(せと)()
険夷(けんい)(いずれ)れの(ところ)ぞ、(われ)(かん)せず
(ただ)()しむ故園(こえん)松菊(しょうきく)()
茫茫(ぼうぼう)満目(まんもく)榛蕪(しんぶ)(ちょう)
  壬申(じんしん)初春(しょしゅん)偶作(ぐうさく) 唇堂(しんどう)七十八叟(しちじゅうはちそう)

[語釈]

謝老(しゃろう)
 年老いて官を退くこと。
世途(せと)
 世の中を生きてゆく方法。
険夷(けんい)
 困難と平易。転じて世の中の乱れと、治まること。
故園(こえん)
 ふるさと。
松菊(しょうきく)()
 陶淵明の『帰去来辞』に「三径就荒、松菊猶存(三径荒に就けども、松菊なほ存す)」とあり、留守中に荒れ果てた故郷の庭にも松と菊だけは枯れずに残っていたことを喜んでいるが、この詩では、それさえも枯れてしまったと嘆いている。
茫茫(ぼうぼう)満目(まんもく)
 広々と見渡す限り
榛蕪(しんぶ)
 雑草が生い茂っていること。
(ちょう)
 生い茂ること。「榛蕪長」ではなく「長榛蕪」としたのは、平仄と韻の関係による。
壬申(じんしん)
 「みずのえ・さる」の年。昭和7年(1932年)。

[訳]

官を辞してすでに十年。その間にすっかり世事にうとくなった。
世の中の乱れや治まりぐあいなどにも、まったくの無関心。
ただ残念なのは、故郷の庭は荒れ果てて、松や菊さえ枯れてしまったこと。
みわたす限り雑草が生い茂り、荒れ放題だ。
 昭和7年初春 たまたまできた詩 唇堂 七十七歳

2010年5月1日公開。2010年5月6日修正。

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