日本漢文の世界

 

英傑の遺墨が語る日本の近代



石原応恒 七言絶句
いしはら・おうこう


1849-1936。日露戦争歩兵第11旅団長。「石原鬼将軍」。

石原応恒 七言絶句 日本漢文の世界 kambun.jp

[解読]

一朝奏凱去辺関(韻)
路入金州思幾般(韻)
拝弔年前鏖戦跡
千秋英気満南山(韻)
(七言絶句。平声刪韻)
 征露後凱旋途中之旧作 昭和乙亥夏
 八十六翁 陸軍少将 石原応恒書

[訓読]

一朝(いっちょう)(がい)(そう)して辺関(へんかん)()
(みち)金州(きんしゅう)()る、(おも)うこと幾般(いくはん)
拝弔(はいちょう)年前(ねんぜん)鏖戦(おうせん)(あと)
千秋(せんしゅう)英気(えいき)南山(なんざん)()
 征露(せいろ)()凱旋(がいせん)途中(とちゅう)旧作(きゅうさく) 昭和(しょうわ)乙亥(いつがい)(なつ)
 八十六(はちじゅうろく)(おう) 陸軍(りくぐん)少将(しょうしょう) 石原(いしはら)応恒(おうこう)(しょ)

[語釈]

一朝(いっちょう)
 ある日。ひとたび。

(がい)
 凱旋。

辺関(へんかん)
 国境の関所。

金州(きんしゅう)
 大連の中心部にある。

幾般(いくはん)
 いくたび。

(ちょう)
 とむらい。

鏖戦(おうせん)
 激しい戦闘。「鏖」は「みなごろし」ということ。

千秋(せんしゅう)
 非常に長い年月。

英気(えいき)
 ここでは英霊の霊気。

南山(なんざん)
 南側の山。

昭和(しょうわ)乙亥(いつがい)
 「乙亥」は、「きのと・い」の年。昭和10年。

[訳]

ひとたび戦勝を陛下にご報告申し上げ、国境の関所から立ち去った。
そして、金州へと続く道に至ると、いろいろな思いが沸いてくる。
昨年の激戦地で戦死者を弔えば、
戦死者の無念の気持ちが、南山に満ち満ちているのを感ずる。
 日露戦争後、凱旋の途中に作った旧作。
 昭和10年夏。
 八十六歳の老人 陸軍少将・石原応恒書く。

2009年12月6日公開。

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