福沢諭吉 七言絶句
ふくざわ・ゆきち
1835-1901。学者。慶応義塾大学を創立。
[解読]
曽是英雄手裏軽(韻)
南洋風雨幾回驚(韻)
士魂空寄宝刀去
三尺芒光今尚明(韻)
(七言絶句。平声庚韻)
得村正刀銘有長曽我部盛親帯之之八字
[訓読]
曽ては是れ英雄の手裏に軽し
南洋の風雨、幾回か驚く
士魂空く宝刀に寄せ去り
三尺の芒光、今尚明かなり
村正の刀、銘に「長曾我部盛親之を帯ぶ」の八字有るを得たり
[語釈]
手裏
手の中ということ。ここでは、かつての持ち主である、長宗我部盛親(ちょうそかべ もりちか)の手の中。
南洋
長宗我部盛親の領地であった土佐のこと。
風雨
非常な困難を風雨にたとえる。長宗我部盛親は、関が原の戦いで西軍に属し、大阪夏の陣では大阪城に入った。
驚く
刀が使用されたことをたとえる。
士魂
武士の魂。持ち主であった長宗我部盛親の魂。
三尺
名刀のこと。
芒光
通常は「光芒」(放射される光線のこと)というところを、平仄の関係で逆にしている。
長曽我部盛親
長宗我部盛親(1575‐1615)は、戦国武将で、長宗我部元親の四男。慶長4年家督をつぐ。関ケ原の戦いでは西軍に属し,徳川家康に土佐(高知県)の領地を没収された。大坂冬の陣のとき豊臣秀頼にまねかれて大坂城にはいる。夏の陣で敗れて捕らえられ、京都六条河原できられた。享年41。
[訳]
かつてこの名刀は英雄の手の中で軽々と扱われ、
関が原の戦いや大阪夏の陣で、何度も使われたであろう。
この宝刀に宿っていた武士の魂は空しく消え去ったが、
刀身の放つ光芒は、今なおくもりなくはっきりとしている。
村正の名刀で、「長曽我部盛親が帯びる」との八文字の銘文を持つものを入手した(感激を詠んだ詩)
2009年3月28日公開。