書名 | 明治書道史夜話 |
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副題 | |
シリーズ名 | |
著者 | 近藤 高史(こんどう こうし) |
出版社 | 芸術新聞社 |
出版年次 | 平成3年(1991年) |
ISBN | 9784875860433 |
定価(税抜) | 2,136円 |
著者の紹介 | 著者(1934-)は、東京出身の書家・明治書道研究家です。『書道史年表(明治・大正・昭和)』(木耳社)の著があります。 |
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本の内容: 現代書道への道を開いた明治の天才書家、日下部鳴鶴(くさかべ・めいかく)を中心として、明治書道の沿革をたんねんに調べた労作です。 明治時代、文人といわれた人びとは、みな書を善くしていました。この本の主人公である日下部鳴鶴、巌谷一六も漢詩文に長じていましたが、明治時代に作られた「書家番付」には、重野成斎、川田甕江、中村敬宇など漢学の大家の名が見えています。だから、詩文そのものだけではなく、書画の面も見ていかなければ、文人たちの本当の姿は分かりません。 明治書道の特徴は、それまでの帖学に代わる碑学、和様に代わる唐様でした。わが国に碑学の種をもたらした大恩人は、中国の書家、楊守敬(よう・しゅけい)でした。中国公使の顧問として来日した楊守敬のまわりに、日下部鳴鶴、巌谷一六ら一流の書家たちが集まり、書法を授かります。いっぽう楊守敬は、中国ではすでに失われた稀覯本がわが国にたくさんあるのを見てびっくりし、百方手を尽くして蒐集に乗り出します。かくして稀覯本一万冊が中国へ持ち帰られたのは、わが国にとって大きな損失でしたが、碑学授受の大恩を思うと、功罪半ばというところでしょう。 さて著者は、その後の建碑流行の発端となった勅撰文神道碑について、くわしく究明しています。神道碑は、重野成斎撰、日下部鳴鶴書になる『大久保公神道碑』(文章は『明治漢詩文集』に所収)のみが世に知られていたのですが、著者は、全八基について調査し、一覧表にしています。石碑は永遠に建っているようでいて、一旦その存在を人が忘れてしまうと、探し当てるのは並大抵の苦労ではありません。森鷗外の『渋江抽斎』その十六からその十九に、鷗外が池田京水の墓碑を探し回って苦労した話がでてきますが、著者はそれ以上の努力をされたようです。まったく頭が下がります。 | |
2001年9月9日公開。 |