日本漢文の世界:本の紹介

書名 頼山陽と平田玉蘊
副題 江戸後期自由人の肖像
シリーズ名  
著者 池田 明子(いけだ あきこ)
出版社 亜紀書房
出版年次 平成8年(1996年)
ISBN 9784750596051
定価(税抜) 1,845円
著者の紹介  著者は、広島在住のノンフィクションライター。頼山陽に傾倒し、頼山陽記念文化財団の評議員を務める。広島県の出資により、広島の頼家屋敷跡で「頼山陽史跡資料館」が再建されるなど、著者らの頼山陽顕彰の地道な活動は、大きな成果を生み出しつつあります。
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本の内容:

 本書には、江戸時代の女流画家・平田玉蘊について調べていく過程が、みずみずしく語られています。
 かつて玉蘊について調べたいと言うと、地元の反応は複雑だった。
 「玉蘊(ぎよくおん)さん、ああ、頼山陽の”いいひと”のことかね」
 「ありゃあ、山陽先生にふられたおなごですけんのう」
 画業のことはさておいて、頼山陽との関係ばかりが話題となった。(本書3ページ)
 平田玉蘊は、地元でも、ほとんど忘れられていました。そんな状態から、著者は少しずつ玉蘊の足取りを調べていきます。しかし、平田家の後裔は、訪ねてみたときには既に絶えており、地元の伝承もほとんどなく、結局は玉蘊の元恋人である頼山陽の記録に頼らざるを得なかったのです。
 頼山陽と平田玉蘊の出会いは鮮烈です。
 頼山陽は若い時、脱藩(他領への無断逃亡)の罪により、自宅に設けられた座敷牢に長年幽閉されていました。ようやく広島藩から赦免が出たのは27歳のときでした。一家はお祝いのため、父祖の故郷・竹原に赴いて舟遊びをします。そのとき竹原に来ていた玉蘊が、請われて同じ舟に乗りました。時に玉蘊21歳。山陽は玉蘊の美貌のとりこになります。二人の恋愛はこうして始まり、山陽は、舟遊びの感興を「竹原舟遊記」につづります。
 その後、山陽は神辺の菅茶山の廉塾に、都講(主任講師)として赴きました。山陽は玉蘊を妻に迎えたい旨を、茶山に打診しますが、茶山は取り合いません。山陽が廉塾を飛び出して京都へ上ったのは、茶山が玉蘊との結婚を認めなかったことに対する不満も理由の一つかもしれないと、著者は推論しています。
 玉蘊は母と妹を連れ、山陽を追いかけて上京します。しかし、京都での地位が未だ安定せず、女性問題でスキャンダルを起こすことのできない山陽は、玉蘊を拒絶せざるを得ません。玉蘊は空しく郷里へ帰らければなりませんでした。その後も二人の間はすれ違いばかりで、結局この恋愛は悲劇に終わります。そして、玉蘊は「頼山陽にふられた女」というレッテルが貼られてしまい、その後の彼女を苦しめることになります。
 その後、玉蘊は流浪の俳人・白鶴鳴と同棲した時期もありますが、結局は画業に専念する道を選び、妹・玉葆の長男・玉甫を養子に入れました。
 著者の丹念な調査によって、これまで知られることの少なかった平田玉蘊の事績が、克明に浮かび上がってきます。玉蘊に対する著者の満腔の同情にも共感を覚えます。

 『山紫水明 -頼山陽の詩郷-』(渓水社)は、本書の姉妹編です。これは、頼山陽の事績を祖父の代にさかのぼって紹介する頼家三代記です。また、山陽が「山紫水明」という語を造語してゆく過程を丹念に追っています。頼山陽という多面的な人物への一つの魅力的なアプローチとして、成功を収めています。

2012年4月30日公開。

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