姓・号 | 山田 梅村(やまだ ばいそん) |
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生没年(享年) | 文化3年(1816)- 明治14年(1881) (66歳) |
諱(いみな) | 亥吉(いのきち) |
字(あざな) | 乙生(おつせい) |
通称 | 勝次(かつじ) |
雅号 | 梅村(ばいそん)、三聖庵主人(さんせいあんしゅじん)、痩竹廬(そうちくろ)、小田園主人(しょうでんえんしゅじん) |
謚(おくりな) | |
出身地 | 伊予国(愛媛県) |
師の名 | 昌平黌、広瀬淡窓 |
官職等 | 高松藩儒 |
代表的著作 | 吾愛吾廬詩 飲江三種 三聖盦寿醼書画展観小録 書体解要 |
伝記: 高松藩儒となった山田鹿庭(やまだ・かてい)の長男として生まれた。昌平黌に学び、広瀬淡窓について折衷学を修め、高松藩儒となった。学識たかく、詩・文・書ともに秀で、篆刻等もよくした。 長男・梅屋(ばいおく)も漢学者として名をなした。二男・晋香(しんこう)は、名は尚俌(しょうほ)といい、高松高等女学校初代校長等を歴任し、教育者として名高い。 | 2012年11月3日公開。 |