日本漢文の世界

姓・号 鹽谷 青山(しおのや せいざん)
生没年(享年) 安政2年(1855)-
大正14年(1925) (71歳)
諱(いみな) 時敏(ときとし)
字(あざな) 修卿(しゅうけい)
通称  
雅号 青山(せいざん)
謚(おくりな)  
出身地 江戸
師の名 昌平黌
官職等 第一高等学校教授
代表的著作 青山文抄(1巻)
文章裁錦(1冊)
肖像:

鹽谷青山 日本漢文の世界

伝記:

 青山は、塩谷簣山(塩谷宕陰の弟で、塩谷家を継いだ)の子息で、宕陰から見ると3代目に当たる。幼時から聡明で、家学を受けたあと昌平黌に学び、維新後は芳野金陵、島田篁村、中村敬宇らに師事した。
 明治6年、簣山の没後、家塾で教授しはじめたが、このときわずか19歳であった。このため、門人の方が年長であることもあったが、青山の講義を聞くに及んで、皆感服したといわれている。
 明治22年(1889年)から大正9年(1920年)までの32年間、第一高等学校教授の職にあった。剣道に通じ、文武二道を奨励した。気節を重んずる一高の校風は青山に負うところが多いと言われる。一高教授のかたわら、小石川の私塾、菁莪書院で英才を教育した。倉石武四郎博士(1897-1975)も菁莪書院で学んだ思い出を語っている。(『学問の思い出ー倉石武四郎博士を囲んでー』、東方学40号、昭和45年9月)
 大正14年(1925年)、71歳で没。 
 東京帝国大学教授、塩谷温博士(号は節山)は長男。
2003年7月20日公開。

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