姓・号 | 岡田 劍西(おかだ けんせい) |
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生没年(享年) | 元治元年(1864)-昭和2年(1927) (64歳) |
諱(いみな) | 正之(まさゆき) |
字(あざな) | |
通称 | |
雅号 | 剣西(けんせい) |
謚(おくりな) | |
出身地 | 富山県 |
師の名 | 小永井小舟、重野成斎など |
官職等 | 学習院教授、東京帝国大学教授、文学博士 |
代表的著作 | 近江奈良朝の漢文学 日本漢文学史(吉川弘文館) 漢文大系(冨山房)の「古詩賞析」と「楚辞」の解題 国訳漢文大成の「文選」の訳 |
伝記: 富山の漢学者、岡田栗園の孫、岡田呉陽の子。祖父・父ともに江戸の昌平黌に学び、詩文を善くしたので、剣西も幼時から家学を受けた。 のち東京へ出て、小永井小舟、重野成斎に学んだあと、当時東京大学に短期間だけ設けられた「古典講習科」の前期に入学した。ここで、中村敬宇、三島中洲、島田篁村、秋月韋軒、南摩羽峯、信夫恕軒、内藤恥叟といった、錚錚たる教授陣に教えを受けた。 卒業後、陸軍幼年学校の教授などを経て、明治39年学習院教授となり、大正15年まで20年間勤めた。大正13年、東京帝国大学教授を兼任した。晩年には大東文化学院教授も引き受けている。 剣西は温和な性格で学生から慕われた。また朗読の名手でもあった。 剣西は日本漢学に詳しく、これについては、『近江奈良朝の漢文学』および『日本漢文学史』(上代から室町時代までの漢文学について述べたもので、遺稿として長澤規矩也・山岸徳平らの整理により出版された)の著作がある。昭和2年に胃癌で亡くなるまで書き継いだ『日本漢文学史』を、近代の部分まで完成させることができなかったことが惜しまれている。 | 2002年11月10日公開。2003年4月29日一部修正。 |