「所謂」(いわゆる)も「所者短語」になります。次の例句を見てください。
【例句1】
此所謂不能為時者也。(蘇軾『論封建』)
(訓読)此れ所謂時を為る能わざる者也。
(現代語訳)これがいわゆる時を作ることができないということなのだ。
[状語] | 謂語 | 賓語 |
[不] | 能為 | 時 |
所謂 不能為時 (「不能為時」は述賓短語)といえなくはありませんが、「者」をつけたほうが安定します。なぜかというと、この「所謂」は、慣用的な用法なので、所字短語としての機能は低く、「所謂」+「者字短語」と考えたほうがよいからです。
所謂 + 不能為時者(者字短語「不能為時者」は名詞性短語)
主語(主部) | 謂語(述部)=所者短語 | |
---|---|---|
謂詞=所者短語 | <句末助詞> | |
此 | 所謂不能為時者 | <也>。 |
「所以」(ゆえん)も「所者短語」になります。例句を挙げておきましょう。
【例句2】
観夫高祖之所以勝、項籍之所以敗者、在能忍与不能忍之間而已矣。(蘇軾『留公論』)
(訓読)夫の高祖の勝ちし所以、項籍の敗れし所以の者を観るに、能く忍ぶと忍ぶ能わざるとの間に在るのみ。
(現代語訳)高祖が勝った理由、項羽が負けた理由を考えてみれば、我慢できたか、我慢できなかったかということに原因がある。
高祖之所以勝、項籍之所以敗 + 者
この句の場合、「所以」だけでも安定した所字短語を形成するため「者」字は必須ではありませんが、「者」字があるほうがより安定するのです。
主語(主部)=述賓短語 | ||||
---|---|---|---|---|
謂詞 | [定語] | 賓語=聯合短語(所者短語) | ||
所以短語(之字短語) | 所以短語(之字短語) | 者字 | ||
観 | [夫] | 高祖之所以勝 | 項籍之所以敗 | 者 |
謂語(述部)=述賓短語 | ||||
---|---|---|---|---|
謂詞=述賓短語 | <助詞> | <助詞> | ||
謂詞 | 賓語 | |||
在 | 能忍与不能忍之間 | <而已> | <矣>。 |
※参考「所以者何」
仏典では、「所以者何」という言い回しが頻出します。仏家ではこれを「ゆえはいかん」と訓読しています。(普通の訓読では「ゆえんのものは何ぞや」となります。)通常の漢文では、「所以」と「者」の間に「所以」の内容が入ってくるのですが、仏典では「所以者」という形が許容されるのは面白いことです。おそらく、サンスクリット原典の調子を翻訳にも再現しようとした苦心のあとなのだと思います。
2007年11月11日公開。