日本漢文へのいざない

 

第一部 日本文化と漢字・漢文

第四章 漢文訓読について




(18)漢文訓読の問題点の検討4(句読が分からなくなる)

(e)句読明らかならず

 句読(くとう)というのは、文章の区切りのことです。センテンスが完結する大きな区切りを「句」、センテンスは完結しないが息継ぎに休止できるところを「読(トウ)」といいます。一般には、訓読したときに文末に「。」が来るところを「句」、「、」が来るところを「読」と言っていますが、漢文では、これらはどちらも「句」です。訓読だけに頼っていると、中国語で音読するときの「読」は分かりません。これはつまり、原文のリズムが分からない、ということです。しかし、訓読は翻訳の一種であり、日本語のリズムで読むものですから、これはやむをえないことです。

 『論語』の冒頭の文で、句読を例示してみます。(陳少松著『古詩詞文吟誦研究』、中国:社会科学文献出版社、172ページを参考にしました。)

子曰、 学  而  時習之、 不亦 説乎。

  句   読  読   句   読  句


有朋  自遠方来、  不亦  楽乎。

  読     句    読   句


人不知  而  不慍、 不亦  君子乎。

   読   読  句    読   句

 「句」のほうはセンテンスの切れ目なので、訓読しても分かりますが、息継ぎにすぎない「読(トウ)」のほうは、訓読では全く分からなくなります。以下には、訓読で分からなくなった「読」を括弧づきで「(読)」とし、訓読でも息継ぎで休止できる場合は「読」として示してみました。

子曰、  学  而  時習之、   不亦 説乎。

  句    読  読   句     読  句

()(いわ)く、(まな)んで (とき)(これ)(なろ)う、 (また) (よろこ)ばしからずや。

   句(読) 読      句  読      句


有朋  自遠方来、    不亦  楽乎。

  読     句       読   句

(とも)遠方(えんぽう)より(きた)()り、 (また)  (たの)しからずや。 

(読)        句   読      句


人不知  而  不慍、   不亦  君子乎。

   読   読  句     読   句

(ひと)()らずして (いきどお)らず、 (また)  君子(くんし)ならずや。

(読) 読      句   読       句

 訓読においては、句読が分からなくなることは、やむを得ないと開き直るしかありません。日本語と漢語では、もともと語順やリズムが違いますから、句読が分からなくなるのは、当然のことです。



2005年3月27日公開。

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