(e)句読明らかならず
句読(くとう)というのは、文章の区切りのことです。センテンスが完結する大きな区切りを「句」、センテンスは完結しないが息継ぎに休止できるところを「読(トウ)」といいます。一般には、訓読したときに文末に「。」が来るところを「句」、「、」が来るところを「読」と言っていますが、漢文では、これらはどちらも「句」です。訓読だけに頼っていると、中国語で音読するときの「読」は分かりません。これはつまり、原文のリズムが分からない、ということです。しかし、訓読は翻訳の一種であり、日本語のリズムで読むものですから、これはやむをえないことです。
『論語』の冒頭の文で、句読を例示してみます。(陳少松著『古詩詞文吟誦研究』、中国:社会科学文献出版社、172ページを参考にしました。)
子曰、 学 而 時習之、 不亦 説乎。
句 読 読 句 読 句
有朋 自遠方来、 不亦 楽乎。
読 句 読 句
人不知 而 不慍、 不亦 君子乎。
読 読 句 読 句
「句」のほうはセンテンスの切れ目なので、訓読しても分かりますが、息継ぎにすぎない「読(トウ)」のほうは、訓読では全く分からなくなります。以下には、訓読で分からなくなった「読」を括弧づきで「(読)」とし、訓読でも息継ぎで休止できる場合は「読」として示してみました。
子曰、 学 而 時習之、 不亦 説乎。
句 読 読 句 読 句
子曰く、学んで 時に之を習う、 亦 説ばしからずや。
句(読) 読 句 読 句
有朋 自遠方来、 不亦 楽乎。
読 句 読 句
朋の遠方より来る有り、 亦 楽しからずや。
(読) 句 読 句
人不知 而 不慍、 不亦 君子乎。
読 読 句 読 句
人知らずして 慍らず、 亦 君子ならずや。
(読) 読 句 読 句
訓読においては、句読が分からなくなることは、やむを得ないと開き直るしかありません。日本語と漢語では、もともと語順やリズムが違いますから、句読が分からなくなるのは、当然のことです。
2005年3月27日公開。